『散歩哲学 よく歩き、よく考える』を読みました。
著者は島田雅彦さん、発売は2024年、早川書房から。
内容/あらすじとか
「昔から思索家はよく歩く。哲学者然り、詩人然り、小説家然り、作曲家然り……よく歩く者はよく考える。よく考える者は自由だ。自由は知性の権利だ」(プロローグより)。直立二足歩行の開始以来、人類は歩き地球に広がった。ルソー、カント、荷風らもまた歩き、得られた洞察から作品を生んだ。忙しさにかまける現代人に必要なのは、ほっつき歩きながら考える「散歩哲学」だ。散歩を愛する作家・島田雅彦が新橋の角打ちから屋久島の超自然、ヴェネチアの魚市場まで歩き綴った画期的エッセイ!
島田雅彦(2024)『散歩哲学 よく歩き、よく考える』カバー袖 早川書房
『散歩哲学 よく歩き、よく考える』の感想/レビュー
作家、教授として活動しながら国内外を歩きまくっている筆者の散歩エッセイ。散歩の意義や目的を歴史や進化の点から考える真面目な前半から一変、中盤から後半にかけては飲み歩きの紀行文のようになっていました。
しかしお酒の合間に入る思索や考察には筆者の膨大な知識と教養が垣間見えます。明治以降の文学に風景描写のための風景発見が必要だったこと。近年の開発による地方の没個性化と歩かせることを念頭に置いた都市開発の提案。日本人にトンネルが「別世界へのワープ」イメージとして刷り込まれている理由。効率成果主義の脆弱性と夢見る能力(想像力)の大切さの話など。興味深いトピックがあちこちに寄り道するよう、ざっくばらんに広がっています。
『散歩哲学 よく歩き、よく考える』のハイライト/印象に残った箇所
「散歩」と「本を読む」ことは同じ
読書も、テキストの森に踏み込み、コトバと出会い、刺激を受けるという意味では、散歩なのである。そして、散歩は街や山谷に埋め込まれた意味やイメージを発掘するという意味では、読書なのである(島田 2024:9)
子どもの成長には「よく歩くこと」が大切
時間やスケジュールに縛られた子ども、回り道を嫌い、ショートカットばかり求める子どもが増えている。自分が父親になって思ったのは、子どもの頃から森の中で歩くことを習慣にして、外部から多様な刺激を受けながら、思考も多様化させることが教育上、極めて重要だということである。息子には回り道こそが創造的なのだと刷り込んでおきたいと思った(島田 2024:32)
幼児が歩行訓練に費やす約二年間は、言語を獲得する時期と重なるので、二つの能力は相乗効果で発達する。(中略)子どもの成長とは、人類が辿ってきた身体の変容と知性の獲得の軌跡をわずか一〇年ほどの短期間に圧縮して、追体験することなのである。逆に歩くことを止めた瞬間から退化が始まってしまう。(島田 2024:32)
自然の中で過ごすことは「感覚のリハビリ」になる
バリアフリーを目指す都市部や公共施設と違って、バリアフルな森では自ずと足腰、背筋が鍛えられるが、それよりも感覚のリハビリに有効である。森で過ごす時間が長くなれば、その分、五感が研ぎ澄まされるようだ。(島田 2024:164)
遊び心、余裕、想像力も心の大切な要素
産業社会への転換によって生産様式、生活様式が一変した時、効率や成果を合理的に追求する思考が重視されるようになった。矛盾や破綻を嫌う第一の心は案外脆弱で、必ず何らかの支障をきたす。その支障のことをディレンマとか、パラドックスなどと呼んできた。第二の心は第一の心の脆弱さを補い、ディレンマを楽しみ、パラドックスを弄ぶ余裕を持っている。危機の時代には今までと違う思考が必要とされるが、その鍵を握るのが、第二の心であり、夢見る能力である。偉大な科学的発見も、芸術の成果も第二の心の奥底から立ち上がった妄想の産物なのである(島田 2024:218)
効率や成果を合理的に追求する姿勢、矛盾や破綻を嫌う心は、行き過ぎれば「完璧主義」と言い換えることができます。ただ人間はロボットではないので、ほころび一つない完璧を体現することはできないし、想定外のミスや堕落は誰にでもあるはずです。そんなときに大切になるのは、これではだめだと自分を責める心よりも、こんなときもあると割り切って軌道修正、改善、改良する余裕のある態度、つまり遊び心ではないかと思います。
ジレンマやパラドックスを楽しみ弄ぶ余裕のことを、筆者は「夢見る能力」と呼んでおり、その能力を目覚めさせるのが散歩であると主張しています。目的もなくぶらぶらと歩き回ることは、時間と体力の浪費であり、合理性とは正反対に位置しています。しかし、一見遠回りにみえる散歩が現代社会で楽しく生きるための鍵になっているという考えは面白いと思いました。
「花に嵐のたとえもあるぞ」と言えば、すかさず浮かぶのは「さよならだけが人生だ」。これは作家の井伏鱒二(いぶせますじ)が意訳した漢詩の一節です。美しい月に雲がかかるように、満開の花を強風が散らせるように、何事もままならないのが世の常。完璧でないこと、予定計画が崩れてがっかりするよりも、その瞬間を、今を、全部をありのままに感じようとする心を大切にしたいです(のらりくらりと散歩でもしながら)。

コメント