『光源氏の一生』を読みました。
著者は池田弥三郎さん、発売は1964年、講談社から。
内容/あらすじとか
日本文学のうえで、光源氏ほど大ぶりで、ゆたかな、陰影に富んだ人間像は、ほかに見当たらない。幼い日の母への思慕、青年期の恋のはなやかさの反面、人間としての、人知れぬあやまち、悩み、挫折を通して自分をみがきあげ、やがて一門の主として成熟していく姿には、尽きない魅力がある。定評ある著者が、光源氏に焦点をあて、源氏物語を現代的に再編成した野心作であり、源氏物語の入門書としても好適である。(Amazonより)
『光源氏の一生』の感想/レビュー
古い本ですが、びっくりするくらい平易な言葉で書かれていて読みやすかったです。必要に応じて用語の説明や当時の常識の解説があり、人物や用語の索引がついてるのも地味に助かります(この人誰だっけ?ということがよく起こるので)。これといった改定もなく刷を重ねているのは伊達じゃない。源氏物語の入門書としておすすめです。
で、内容の方はというと。筆者は『源氏物語』はすべてが優れているわけではなく、無駄な部分も多いと指摘しています。そのうえで「よく書けている」と思う部分を抜き出して再編。アニメでいえば総集編のような、長くて複雑な物語を適宜カットして、作品のエッセンスを凝縮して伝えるような形になっています。
本書を通じて筆者が強調しているのは光源氏への誤解。花から花へ渡り歩く蝶のように、次々と異なる女性と関係をもったナンパ男というイメージです。
そしてもう一点は『源氏物語』が真に伝えようとしていたこと。本書では光源氏の一生を通して「幸福は地位や身分によって与えられるものではなく、失敗や挫折を繰り返しながら成長して、自分で掴み取るもの」と示唆されていると述べます。
もちろん作品の解釈に定まった答えはないので、筆者が着目した要点ということにはなると思います。たとえば本居宣長は、『源氏物語』を「もののあはれ」の文学であるといい、もののあはれを知る現場の描写、歌が生まれるまでの過程が描かれているという点で歌論であり、真理の記述であると述べています。
『光源氏の一生』のハイライト/印象に残った箇所
幸福は与えられるものではない
源氏物語の作者は、こういう筆の運びを、はっきりと意識して、計画して書いたのでしょうか。身分の高い、当然、幸福が予想されている人たちが、意外に、幸福でないのです。(中略)これを、作者が意識して書いたとしたら、まことに驚かされます。幸福は、ただ、できあいのものとして与えられるものではないという主張が、そこにみられるのです(池田 1964:125)
「いろごのみ」は女好きという意味ではない
平安朝ごろまでの上流貴族の男性が、理想と考えたいろごのみは、後世の「好色」ということとはちがいます。好色と翻訳されて、いろごのみという語は悪くなってしまったのですが、もとは、「もっとも適切なる相手の女性を選択する」ということでした(池田 1964:217)
大勢の女性たちの愛を受け入れること、大勢の女性たちを自分の意に従わせることは、古代のくにぐにの主たちが、戦争という手段によらないで、その領有する土地を拡げていく、もっとも有効なとして生まれたことでした(池田 1964:218)
光源氏の魅力とは
光源氏の一生は、こうして、いわば、自分自身の力によって、築きあげられたものなのです。できあいの幸福を、拾ったのでも、与えられたのでもありません。いわば、「あつらえの幸福」を、自分の手で、しっかりとにぎったのです。
これほどの、しぶとい、心長い、陰影に富んだ男は、日本の文学の上には、まだ現れていないのです(池田 1964:243)




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