『教養として学んでおきたい神社』を読みました。
著者は島田裕巳さん、発売は2020年、マイナビ出版から。
内容/あらすじとか
正月になると、神社に初詣に出かけます。子どもが生まれたときの初参や七五三の際にも、神社に参拝します。神社は、私たちの日常の暮らしのなかにしっかりと根づいています。
それは、私たち日本人にとって、神社という存在が必要不可欠なものであることを意味します。
本書では、神社で祈ることの意味、その場所が持つ価値、神社の成り立ちや神仏習合、神仏分離といった過程、神社の格などについて、宗教学者の島田裕巳先生に詳しく丁寧に解説していただきます。島田裕巳(2020)『教養として学んでおきたい神社』カバー袖 マイナビ出版
『教養として学んでおきたい神社』の感想/レビュー
入門書的な雰囲気のタイトルですが、内容は思ったよりも難しめ。神社や神道に関する知識がそれなりにあること前提で話が進んでいきます。よく見ればタイトルに「入門」とか「0から学ぶ」みたいな文言は一言も入っていないので、初心者向けではないのでしょう。カジュアルな入門書を求めるなら、図解で網羅的に神社のことを学べる『神社の解剖図鑑』。写真集みたいに楽しめる『世界でいちばん素敵な神社の教室』あたりをおすすめします。
さて、本書で特に印象に残ったのは、科学の発展、生活スタイルの変化、合理性の時代ゆえに世界的な信仰離れが起こりつつあると書かれた箇所です。たしかに、病気になれば神社よりも病院に行くのは普通のこと。叶えたい願いがあるなら、祈るよりも自分で努力した方がその確率が上がることは当たり前。正月に神社で祈り、教会で結婚式を行い、お寺で葬式をする日本人にあるのは、信仰心よりもなんとなく慣習を踏襲する律儀さだと思います。
ただ個人的には、無宗教の人が増えても神社が完全に消滅することはないと思っていて、その理由は「神社が合理性に根ざした施設ではないから」だと考えています。人は唐突かつ理不尽に不幸に見舞われることもあれば、原因不明の不安に襲われることもあります。世の中には合理的に説明解決できないことがたくさんあるからこそ、理屈抜きで心を落ち着かせてくれる神社は必要不可欠な場になってくるのではないでしょうか。
合理性や効率を重視していても、全部無視して休みたくなることはあるし、むしろ真逆のことをしていたい気分のときもあります。不便で非効率でも楽しいコトモノはいくらでもあり、人は本質的に矛盾しまくりの非合理的な生き物です。ゆえに人と神社の親和性は非常に高く、「神様はいない」とか「祈っても意味ない」みたいなツッコミは野暮極まりないというか、そういうことじゃないんだよなぁと感じるわけです。
これだけ科学が発達した時代でも節目節目に祈る人が絶えないのが答えで、その姿はすごく人間らしいと感じます。
『教養として学んでおきたい神社』のハイライト/印象に残った箇所
神道と仏教はなぜ共存できたのか?
神道には創唱者がいないわけで、教えもなければ、教典もない。その点で、ない宗教としてとらえられるわけである。
それに対して、仏教には創唱者がいて、教えがあり、教典がある。仏教の教えを説いた仏典は膨大な数にのぼる。神道とは著しい対称性を示している。
もし、神道にも創唱者がいて、ある宗教だったとすれば、同じ形をとった仏教と衝突することもあっただろう。(中略)神仏習合の時代に、相互に影響し合い、融合したにもかかわらず、神道と仏教の分離が可能だったのである。これは、注目すべき出来事である(島田 2020:129-132)
神仏習合とは、神道と仏教が混じりつつ共存した状態をさす言葉。明治期に神仏分離といって、神道と仏教をしっかり区別するようになるまでは、神社内に寺(神宮寺)が建てられ、お寺の中に鎮守神が祀られたりすることは珍しくなかったようです。ちなみに本地垂迹説は、日本の神様は仏が姿を変えて現れているという考え方のこと。
異なる宗教が一度ごっちゃになってからまた分けられたって、世界的に見てもかなり珍しいケースではないでしょうか。おもしろい。
神社のビジネスモデルとお金事情
神社本庁は、式年遷宮をたんに伊勢神宮だけの行事ではなく、傘下の神社全体が奉賛する行事としてとらえている。遷宮にかかる費用は、2013年の場合、550億円だった。伊勢神宮はそのうち330億円を事前に貯えていたが、不足分は経済界や神社界からの寄付でまかなった(島田 2020:174)
神社関連の本で、神社の経営やお金事情に触れているのは珍しい気がします。遷宮とは神社の本殿を新築移転したり、修理改築のために一時的に神体を移動すること。式年遷宮は伊勢神宮が20年に一度行う遷宮を指します。この費用がとんでもないわけですが、遷宮を続けることで神社界の権威が守れているのでケチるわけにはいかないみたいです。
神社が国家と密接に結びついていた頃には経費が出ていたので金銭的な問題は少なかったのですが、戦後は神社にも経済的自立が求められるようになっていったとのこと。伊勢神宮をトップと定めることで権威性を高め、各神社には神宮大麻(伊勢神宮のお札)を販売させる。神宮大麻の売上が前三年平均を上回ればボーナスが出る仕組みもあって、これが神社界運営のビジネスモデルとなっています。
「正しいお参りの仕方」とか「神社で結婚」はわりと新しい後付け設定
最近では、参拝する際に、「二礼二拍手一礼」の作法に従う人が多くなり、それについては神社の側が奨励もしている。
だがこれも、神に対して榊の玉串を捧げるやり方に比べて略式であり、神に祈念する部分を欠いている。(中略)大正天皇が皇太子の時代に結婚した際、宮中三殿に拝礼したのが神道式の結婚式のはじまりとも言われ、それを真似て庶民も神社で結婚式を挙げるようになった。ただし、それが広く普及するのは戦後になってからのことである。七五三なども、今のスタイルは戦後に広まったものである(島田 2020:203-207)
マナー講師の提唱する謎マナーばりに後付ルールが生まれているのは、神道に創唱者がいなくて作法を定める基盤がないから。ついでに御朱印も後発の何かだと思って調べたところ、それっぽいものは鎌倉・室町時代頃からすでにあったようです。
御朱印の起源ははっきりとは分かっていませんが、日本全国66ヶ所の霊場を巡る修行者があらわれた鎌倉・室町時代頃に遡るといわれています。「六十六部」と呼ばれるこれらの修行者たちは、巡礼先の寺院でお経を納め、その見返りに「納経印」を得ていました。
江戸時代になると、巡礼者が「納経帳」を携帯し、各寺院で記帳してもらうようになります。これが後に「御朱印」と呼ばれるようになりました。
しかし、誰もが自由に旅に出ることができなかったため、御朱印が一般に広まるのは明治以降になりました。庶民が自由に旅行できるようになると、寺社参拝は旅の主要な目的となっていきます。御朱印をもらうことはそこに行ったことの証となり、コレクションする人も徐々に増えていきました。
こういった変化は、もとを辿れば神社の形態にも言えること。より原始的な神社として、本殿を持たない奈良の大神神社(三輪山そのものが御神体)、福岡にある沖ノ島(4〜10世紀頃まで磐座で祭祀を行っていた)のことが本文内で詳しく説明されています。
コメント
≪…「神様はいない」とか「祈っても意味ない」みたいなツッコミは野暮極まりない…≫を、数学の基となる自然数を大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】からの送りモノとして眺めると、[祈りの](合掌)の動作の操作に、「言語の本質」の[オノマトペ]から、[言葉の量化]と[数の言葉の量化]を想う・・・
数とは、一より習い十を知り十よりもどるその一
が数の物指([五蘊物指])になるとか・・・
岡潔数学体験館で、自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~