今につながる俳句の歴史の流れをつくった江戸時代の三俳人、芭蕉・蕪村・一茶。かれらは仲間たちとともに、伝統を大切にしながら、つねに新しい表現に挑戦しつづけました。個性ゆたかな俳人たちはどのように生き、何をめざしたのでしょうか?名句・名言をたっぷり楽しみながら、俳句のこころにふれてみましょう。
藤田真一 (2021) 『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』裏表紙 岩波書店
今回紹介するのは『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』。
著者は国文学者の藤田真一さん、2021年に岩波書店から発売されました。
日本人なら知っておきたい三大俳人の生涯と代表作をざっくり学べる本。
何かに取り組んでいる人、創作している人には金言が見つかるかも。
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『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』のあらすじ、内容
『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』では江戸時代の俳人である松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶の作品と生涯が紹介されています。
ここでは、三人の生涯ダイジェストと、作中で取り上げられている名句をいくつか紹介します。
松尾芭蕉(1644-1694年)
【ざっくり生涯】
- 現在の三重県伊賀市で武士の松尾家の次男として生まれる
- 19〜29歳頃、他家に仕えながら俳諧修行に励むが、主君の死をきっかけに江戸に上る
- 30代前半?で宗匠(先生)となり、俳句で生活できるようになる
- 37歳、日本橋から僻地の深川に引っ越す
- 40代で旅暮らしを始め「野ざらし紀行」、「おくのほそ道」などを執筆
【名句】
月ぞしるべ こなたへ入らせ 旅の宿
意味:月の光が道しるべとなるままに、こちらの宿へいらっしゃい
季語:月(俳句の月は秋を指す)
現在確認されている芭蕉の句の中でも初期のもの。
一見シンプルに見えますが、この句には2つの高度なテクニックが使われています。
此道や 行人なしに 秋の暮れ
意味:秋の暮れに私はこの道を歩いている、他に人はいない
季語:秋の暮れ(秋)
晩年に大阪で読まれた句。
「この道」とはどんな道か、芭蕉にとっての「俳句の道」と考えることができます。
与謝蕪村(1716-1784年)
【ざっくり生涯】
- 毛馬村(大阪府)に生まれる
- 20歳前後で江戸に出て、巴人という師匠の元で俳句を学ぶ
- 27歳、師匠の死をきっかけに拠点を茨木に移し、奥州を旅する
- 36歳で京都に引っ越し、45歳頃に結婚、単身赴任で讃岐(香川県)に行く
- 55歳で宗匠、56歳で「十便十宜図」制作、俳句と画業で絶頂期を迎える
【名句】
身にしむや 亡妻の櫛を 閨に踏む
意味:寝室で櫛を踏んでしまった時に、亡くなった妻のことがしみじみと思い出される
季語:身にしむ(秋)
ふとした時に亡くなった妻を思い出してしまう、しんみりした寂寥感を上手に詠っています…が、
「蕪村は妻を亡くしていません。ですから、まったく空想の俳句です(藤田 2021: 13)」だそうです笑
菜の花や 月は東に 日は西に
意味:一面の菜の花畑で、まん丸の月が東に登り、太陽は西に沈んでいる
季語:菜の花(春)
日の入りと月の出が重なるのは陰暦の15日前後なので、ここで詠まれた月は満月。
二つの光に照らされた幻想的な菜の花畑が浮かんできます。
小林一茶(1763-1828年)
【ざっくり生涯】
- 柏原村(長野県)の中流農家の長男として生まれる
- 幼少期に母親と死別、継母との折り合いが悪く、15歳で江戸に奉公に出される
- 25歳頃から句集に名を連ねるようになり、奥州、上方、九州などを行脚する
- 37歳で宗匠となり、その後は帰省するが父親の遺産相続で弟と揉める
- 51歳で弟と和解、結婚して柏原に腰を据えるが嫁、子どもに先立たれ自身も中風(脳卒中の後遺症)に悩む
【名句】
我と来て 遊べや親の ない雀
意味:親のいない子雀よ、こっちへ来て僕と遊ぼう
季語:親のない雀(春)
この句の下には「六才 弥太郎」と作者名が入っていますが、実際には一茶が大人になってから詠まれた句。
普通に読めば雀と遊ぼうとする子どもの微笑ましい様子ですが、幼名を足すことで寂しい幼少期を送った一茶自身の境遇が重ねられていることが分かります。
古郷は 蠅迄人を 刺しにけり
意味:故郷ではハエまで人を刺してくる
季語:蠅(夏)
皮肉たっぷりの地元あるある。
「人を刺す」は非難する、悪口を言うという意味があります。
『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』の3つのおすすめポイント
『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』のおすすめポイントは3つあります。
- 解説が丁寧で分かりやすい
- 三者三様の生き様が面白い
- 人生の支えにしたくなる名言が見つかる
順に詳しく説明していきましょう。
①解説が丁寧で分かりやすい
「この俳句って何がすごいの?何がいいの?」
名句と呼ばれる句を見た時、こんな疑問を持ったことはありませんか。
俳句は訳をそのまま受け取るだけでは、いまいち良さが分からないものも多いです。
だからこそ、詠まれている風景に自分の心境を重ねたり、作者の意図を探ったり、なんとも言えない間や雰囲気などの微妙なニュアンスを感じ取ったり、
解釈のための主体的な関わりが大切だと思います。
本書には、そんな主体的な関わりを手助けするための解説が丁寧に書かれています。
俳句の訳、その句が詠まれた背景、使われているテクニックなどなど。
それらはあくまで解釈を助ける情報であって、「この句はこう読め!」と解釈を押し付けるものではありません。
また一句ごとの情報量が多いので、詳しく解説されている句はどうしても少なくなります。
しかし、一句への理解が深まることでその俳人への興味も強まるので、次のステップ(もっと知りたい、他の句も見たい)への導入としてはこの上ない良書になっています。
普通に句集を読んだだけでは、三人にここまでの魅力を感じられたか分かりません。
②三者三様の生き様が面白い
三人の生涯と作品を平行して知ることで、自然とその生き方の違いに目が向きます。
例えば、それぞれの俳諧への関わり方を見ても、その違いは一目瞭然です。
芭蕉:無一物になって俳諧に打ち込んだ
蕪村:画業との二刀流で俳諧を続けた
一茶:苦労続きだった人生を俳諧に反映させた
個人的に面白いと思ったのは、蕪村が画業と俳諧の両方で超一流だったこと。
異なる分野を極めたおかげなのか、和歌とも漢詩とも異なる、従来の型にとらわれない近代的な詩を書いていることには驚かされました。
また、俳画といってポップな絵と俳句を組み合わせた創作をしているのも、非常に興味深いです。
③人生の支えにしたくなる名言が見つかる
芭蕉は死の四年前、人生をかえりみてこんな文章を残しています。
たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労して、暫く生涯のはかり事とさへなれば、終に無能無才にして、此一筋につながる(藤田 2021: 79)
意味:あてもない旅に出て苦労を重ね、花や鳥を詠むことに苦心し、一時のつもりが生涯の営みになって、無能無才ながらも俳諧の道に繋がった。
俳聖と呼ばれる芭蕉ですら、悩み苦しみながら「自分にはこの道しかない」と思ってやってきたことを知ると、そのイメージがガラリと変わりますね。
芭蕉はこれ以外にも、名言を数多く残しています。
「舌頭に千転せよ」…納得のいく句を作るために、何度も何度も口の中で唱えろ
「高く心を悟りて、俗に帰るべし」…古人や師の作品や精神を学びながら、日々の生活にも目を向けよ
「不易流行」…変わらないこと、変化すること、二つが同居することで物事は上手くいく
ちなみに、芭蕉をリスペクトしていた蕪村は、芭蕉精神を感じさせる言葉を残しています。
三日翁の句を唱へざれば、口むばらを生ずべし。(藤田 2021: 128)
むばらとはイバラのこと。
芭蕉を句を唱えるのをさぼったら、口の中にトゲが生えるから気を付けろという意味。
ことばは俚俗にちかきも、こころは向上の一路に遊ぶべし。(藤田 2021: 129)
言葉遣いは普段通りでもいいが、精神は高みを目指すべしという意味。
『俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶』の感想
アメリカの作家ナタリーゴールドバーグの著書『書けるひとになる! 魂の文章術』の中に、俳句に関するこんな文章があります。
アメリカ中の小学生がこの形式の三行詩を教わるが、それは真の俳句とはいえない。腰を落ち着けて四大俳人ー芭蕉、一茶、蕪村、子規ーの作品をR.Hブライスの英訳で読むと、訳が五七五の形式を完全に無視しているのがわかるだろう。
ナタリーゴールドバーグ(2019)『書けるひとになる! 魂の文章術』(小谷啓子 訳)p181 扶桑社
引用の詳しい内容は割愛して、この箇所を読んだ時に自分は率直にこう思いました。
「アメリカ人が当たり前のように四大俳人の名を挙げているけど、日本人の自分は四大俳人の名を挙げられない!」
松尾芭蕉、小林一茶、与謝蕪村、正岡子規、もちろん聞けば名前くらいは知っています。
しかし、それぞれいつ頃の時代の人でどんな人生を送ったか、代表作は?と聞かれると閉口してしまいます。
良い悪いの話ではありませんが、妙に悔しいし恥ずかしい。
この一件から「いつか四大俳人についてしっかり学ぼう!」と決めていたのです。
そして、その野望は本書によっていくらか進展が見られました。
ざっくりとでも四大俳人の三人について学び、興味関心をさらに広げられたことを嬉しく思います。
最後に感想の締め括りとして、以前に訪れた三重県伊賀市の写真と、これを機に発起したいくつかの自作俳句を載せておきます!
【おまけ】伊賀の写真と自作俳句
うつむけば 星月落とす 田んぼ道
秋口に 未練がましく セミ探し
夜歩きで 跨ぐ青草 強くあれ
灰猫の 瞳に写す 孤独かな
満月に 而立は遠しと 伸ばす腕
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