息苦しい世の中に刺さる脱構築|『現代思想入門』感想・レビュー

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現代思想入門』を読みました。

著者は千葉雅也さん、発売は2022年、講談社から。

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内容/あらすじとか

人生を変える哲学が、ここにある――。
現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした、「入門書」の決定版。

(Amazonより)

『現代思想入門』の感想/レビュー

「現代思想とは何ですか?」といわれて説明できる人はどれくらいいるでしょう?ポストモダンとか構造主義とか、どこかで聞いたことのあるような、ふわっとしてよくわからないもの。それでいて、ややこしくて難しそうな、触れる前から白旗を挙げたくなるようなもの。自分にとっては説明できないものでした。

本書はそんな現代思想の入門書として、徹底的にハードルを下げて書かれています。現代思想とは1960〜1990年代頃にフランスで展開した「ポスト構造主義」の哲学のこと。その代表的な人物であるデリダ、ドゥルーズ、フーコーの思想を中心に解説しています。

そんなものを学んで何の得があるのか?という疑問に関しては冒頭で解説されています。「複雑なことを単純化しないで考えられるようになる」「単純化できない現実の難しさを、高い解像度で捉えられるようになる」とのこと。

前半はギリギリついていける感じですが、中盤から後半にかけてよくわからなくなり、読み終える頃にはわかったようなわからないような、敗北感を感じる読書となりました。ラストにはそんなこちらの姿を見透かしているかのように蜘蛛の糸がたれてきます。

哲学書を一回通読して理解するのは多くの場合無理なことで、薄く重ね塗りするように、「欠け」がある読みを何度も行って理解を厚くしていきます。プロでもそうやって読んできました(千葉 2022:215)

難しくてわからないなら、何度も繰り返し読めばいい。次へのステップとして紹介されている哲学書にトライして、いろいろ巡ってから再読すればいい。何かひとつを深く学ぶってことは、かくも地味で地道なものなのですね。

『現代思想入門』のハイライト/印象に残った箇所

デリダの「概念の脱構築」

脱構築の手続きは次のように進みます。
①まず、二項対立において一方をマイナスとしている暗黙の価値観を疑い、むしろマイナスの側に味方するような別の論理を考える。しかし、ただ逆転させるわけではありません。
②対立する項が相互に依存し、どちらが主導権をとるのでもない、勝ち負けが留保された状態を描き出す。
③そのときに、プラスでもマイナスでもあるような、二項対立の「決定不可能性」を担うような、第三の概念を使うこともある(千葉 2022:42)

デリダは物事を良し悪しで判断するような二項対立に対して判断を保留すること、結論は簡単に出せるものでもなく、悪いと判断される側についてもよく考えてみることの重要性を説きました。

たとえば善と悪、安心と不安、身体と精神、自然と文化など、一概に答えを出せないような難しい問題は多いです。デリダはその線引きのゆらぎに注目しました。

漫画でも立場上、善と悪に分かれていますが、どちらにも筋の通った言い分や正義があったりして、そういう思想のぶつかり合いでドラマチックな展開を作っている作品も多いです。あれはデリダ的な脱構築をうまく使った演出と見ることができますね。

ドゥルーズの「存在の脱構築」

AとBという同一的なものが並んでいる次元のことを、ドゥルーズは「アクチュアル」(現働的)と呼びます。それに対して、その背後にあってうごめいている諸々の関係性の次元のことを「ヴァーチャル」(潜在的)と呼びます。我々が経験している世界は、A、B、C……という独立したものが現働的に存在していると認識しているわけですが、実はありとあらゆる方向に、すべてのものが複雑に絡まり合っているヴァーチャルな次元があって、それこそが世界の本当のあり方なのだ、というのがドゥルーズの世界観なのです(千葉 2022:63-64)

この主張について、筆者は生物のことを考えるとわかりやすいと述べます。一人の人間の同一性といっても、身体は絶えず変化しており、細菌などの他者に住まわれています。生命プロセスの様々なバランスで成り立っているという意味で、人間は実際には流動的なバランスのなかで同一性を保っているに過ぎないわけです(筆者はこれを「仮固定」と呼ぶ)。

ドゥルーズの思想は、固定的な秩序から逃れ、より自由な外部で新たな関係性を広げること、自分の殻を破っていろいろなことに挑戦して、仮固定の満足を求めていくことを推奨しています。

フーコーの「社会の脱構築」

通常、権力という言葉は、強い者が一方的に弱い者を抑えつけ、支配するというイメージです。ところがフーコーは、「権力は下から来る」と言い、弱い者がむしろ支配されることを無意識的に望んでしまうメカニズムを分析し、実は権力の開始点は明確ではなく、それこそドゥルーズ的な意味で、多方向の関係性(と無関係)として権力が展開しているという見方を示しました。
(中略)
権力は、逸脱した存在を排除し、あるいはマジョリティに「適応」させることで社会を安定させる。近代という時代は、そういう権力の作動に気づきにくくなるような仕組みを発達させました。この歴史的観点が、今の管理社会を批判するために必要なのです。逸脱を細かく取り締まることに抵抗し、人間の雑多なあり方をゆるやかに「泳がせておく」ような倫理、フーコーはそれを示唆していると言えるでしょう(千葉 2022:111-112)

権力ははみ出しものを嫌います。はみ出すことで排除されることを恐れる人々が増えると、自分たちで自分たちを監視し合うような社会になっていきます。

それに対してフーコーは、もっと多様性を許容できるような社会になっていくべきと述べます。それは何でもいい、好き勝手なことをしてもいいという話とは違います。

本書はその後、現代思想の源流となった先駆者としてニーチェ、フロイト、マルクスの思想を紹介していきます。そしてラカン、ルジャンドルを扱いつつ、後半は現代思想の作り方、読み方までカバーしています。再読の機会があれば、その辺をまとめられたらと。

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