日本神話入門『古事記』をよむ|感想/レビュー

岩波ジュニア新書
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八世紀初頭に成立した『古事記』は、私たちの遠い祖先がどのように語り、感じ、生活していたかを教えてくれます。イザナギ・イザナミの国生み神話から、因幡の白ウサギ、海幸・山幸の物語。大和三山伝説など、物語の裏に秘められた古代社会の現実に目をこらしながら、神々の笑いさざめく神話世界を案内します。

坂下圭八(2003)『日本神話入門『古事記』をよむ』裏表紙 岩波書店

日本神話入門『古事記』をよむ』を読みました。

著者は坂下圭八さん、発売は2003年、岩波書店から。

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内容/あらすじとか

古事記の有名なエピソードを紹介しつつ、当時の社会情勢や慣習に照らしながらその真意を探った本。前提として以下の二点を意識しながら話が進んでいきます。

  • 神話を教義や信心ではなく、独自の言葉の芸術、文学として読む
  • 神話が現代に何をもたらすのかを考える

『日本神話入門『古事記』をよむ』の感想/レビュー

ジュニア向けとはいえ、なかなか難しい内容。古事記の大まかな流れは事前に知っておいた方がいいかもしれません。

古事記と日本書紀に出てくる歌は「記紀歌謡ききかよう」といって、その数は両書あわせて240首以上。中には演劇仕立ての長文の歌(神語り)も入っており、古事記が音を意識した口承文学であることがわかります。

神々の時代の話がどこか牧歌的なのに対して、人の時代の話は殺伐とした政治社会を暗示する内容になっています。その背景に、父子兄弟で殺し合うほど熾烈な権力争いの歴史が影響していることは想像に難くありません。

ただ、神話の時代から通して、どこまでも人間臭く悲痛な心情や矛盾に苦しむ姿が描かれる文学的側面の強さは、単純に読み物として面白いと思いました。古事記の目的は政権の神聖化と正当性の主張。しかし、様々な場面で普遍的な人間心理が描かれている点は、神話が現代にもたらすものの一つと言えそうです。

なんだかんだ神道って仏教と混ざりながら形成された宗教だよねって本を読んだ話|『神道とは何か 神と仏の日本史』
『神道とは何か 増補版 神と仏の日本史』を読みました。 著者は伊藤聡さん、発売は2025年(増補版)、中央公論社から。

『日本神話入門『古事記』をよむ』のハイライト/付箋/印象に残った箇所

ウヒジニ・スヒジニは泥土(ヒジー泥、ニー土)を神格化したもの、ツノグイ・イクグイは、身体の原型をクイ(杭)と見立てて、そのクイが土中からツノ(角)のように、生き生きと芽ぐむさまを示す。オオトノジ・オオトノベの語感はト、これに美称のオオ(大)がつき、語尾ジ・ベで男女を区別している。そしてトは性の器官のことで、こうして両性それぞれの器官が足り備わってきた次第が語られるのだ(坂下 2003:5)

古代日本人が音を大切にしていたことがわかる部分。読んだ時の語感を揃えて、そこに意味も与えていくのは高度なテクニック。けど、出てくる神様の名前はとにかく覚えにくい!

そのすべてに意味と目的、遊び心があることは覚えておこうと思いました。

むしろここでは、「葦船」ということばの遊びに注目したい。「水蛭子ひるこ」すなわちしき子だからアシブネで捨てたという、同じ音によるしゃれになっているのだ。『古事記』にはこうしたことば遊びがあちこちにあって、おそらくは口承こうしょうの語りの技術をとりこんだものといえる(坂下 2003:13-14)

クシナダヒメが櫛に変化したり、音から連想してイメージを広げていくのは、ラッパーみたいで面白いですね。

英雄が蛇神や怪物を退治して、犠牲になろうとしていた乙女を救い、それと結婚するという話は世界中にみられる。これをペルセウス・アンドロメダ型神話という。ギリシア神話の英雄ペルセウスが、海の怪物からアンドロメダ女王を救い出して結婚した話と同型のものをさしており、スサノオのオロチ退治物語はその見事な一例とみてよい(坂下 2003:53-54)

大嘗祭も新嘗祭も宮廷の儀式であり、古代の政治権力が自らを神聖化するために演出したものであった。ただそれを、人々の間の稲の収穫祭と同じかたちで、同じ時期に施行することで、宮廷・国土・人民の一体化がはかられ、天子の君臨が実現されようとした。それ自体ひとつの政治的幻想なのだが、人々の伝える歌や語りがこの幻想に吸収され、内容を豊かにしていったことは疑えない(坂下 2003:101-102)

新嘗祭(にいなめさい)とは毎年11月に行われる、五穀豊穣を祝う宮廷行事のこと。新天皇即位の祭典と新嘗祭を合わせたものを大嘗祭(だいじょうさい)といいます。

縄文土器には一種奇怪な文様がほどこされ、蛇紋・蛇の把手など蛇体をあらわすものも目につく。その種の土器はまず祭りの用具と思われ、古代人の蛇体への畏敬を感じとることができる。蛇は地中に住んで脱皮・再生する生態から、大地の生命力を象徴する存在だったようだ(坂下 2003:130)

蛇体の神であるオオモノヌシが人間の女との間に子を作ったというエピソードがあります。こういった話は昔話で「蛇婿へびむこ入り」というジャンルに分類されており、オオモノヌシの話はその中の「苧環おだまき」型といいます。

苧環型の話は、娘のもとに通う謎の男の正体を探るため、男に糸をつけて追いかけたところ、その正体は大蛇だったというもの。自分が暮らす静岡にも蛇婿入りの昔話として、青池に伝わる「大蛇にさらわれた賀姫」があります。

神話と昔話で異なるのは、蛇神に対する見方(青池の話では蛇を忌むべきものとして、退治してしまいます)。蛇への畏敬が邪悪で不気味なものに変わっていることは興味深いです。

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