『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』を読みました。
著者は町田康さん、発売は2022年、NHK出版から。
内容/あらすじとか
独特な文体・語法と奇想天外な物語で幅広い読者を有し、多数のヒット作を発表してきた作家・町田康。一度読んだらやみつきになる、あの唯一無二の文学世界は、いかにして生まれ、進化してきたのか。自身の創作の裏側や時代背景、また強い影響を受けた文学作品や音楽・浪曲・落語などの芸能について、はじめて自分の内面を「暴露」する、町田ファン・文芸ファン待望の一冊。
町田康(2022)『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』カバー袖 NHK出版
『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』の感想/レビュー
筆者がどのような価値観で文章を書いているか、なぜそのような文体が構築されたのかを分析しながら語った自伝的エッセイ。「◯◯に影響を受けました」は安易に断定することができず、無意識的に見聞きし摂取したものからの影響が大きく、たぶんこれでこういう影響を受けたんじゃないでしょうか?という感じに、自分のことを分析的に語っているのが面白かったです。
著者の文章は話し言葉のようで読みやすくわかりやすいですが、内容は概念的で難しいことを言っています。創作全般に役立つヒントは多々あると思い、特に第9回(9章)は日記やブログ、noteなんかを書く人にはかなり役立ちそうです。
注意点として、一部の章は『俺の文章修行』とまったく同じ内容になっています。とはいえ、どちらかにしか書いていない文章上達の秘密がそれぞれにあるので、どちらも読んだ方がいいです。
『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』のハイライト/印象に残った箇所
文体は「どう見せたいか、どうありたいか」というその人の意志
限界はあるけれど、声も喉の使い方によっていろんな声ができますよと。それと同じように、文体というのも、いろんなふうに直すことができると僕は思います。つまり、文体を自分で意志して作ることができるのかどうかといったら、これはできるというか、その意志そのもの、「このような文章を書こう」という意志そのものが文体であると。(町田 2022:91)
その文体を決める意志とは自分が「カッコいい」と思う感覚。その感覚に沿ってファッションのように足し算引き算するなりして、リズムや使う言葉、口調などを配合して自分の思う「カッコいい」を作っていると筆者は述べます。
そしてその感覚を磨くには、本をたくさん読むことが大切。本を読んで表現や語彙のパターンを増やすことで、配合の手数も増えるという道理です。
何をカッコええかと思うとか、主観やから、「俺、これ、好きやねん」と、わりと簡単に言いますけど、「俺、これ、カッコええと思う」と言うのは簡単なように見えて、実は、本当はすごく恐ろしくて、すごく難しいことなんだよというのが一つあると思います。(町田 2022:101)
文章を絶対におもしろくする方法は「本当のことを書くこと」。
全部書いている日記というのもありますけど、それでも、書くとなると、やっぱり普通に思っていることとは違う、気取りとか、カッコつけとか、人目を何か意識する。(中略)その衒いとか、カッコつけとかいうものから逃れる手続きが必要だと。それが、随筆を書くということだと思うんです。だから、その自意識の抜き方、逃れ方がわからない状態でいきなり小説を書き始めると、なかなか苦労するんじゃないかと推測します。(町田 2022:164-165)
言ってることは理解できても、実践がめちゃくちゃ難しいアドバイスだと思いました。「自分が本当に思っていることを書けばいい」と言われることのシンプルさと難しさといったら…。
それでは余分な自意識を取っ払い、自分の本音に近づくための方法やヒントはあるのでしょうか?話は続きます↓↓
自意識を取り払う方法とは?
自意識は強烈ですから、社会の自意識、世間の自意識というのは特に強烈ですから。そこ※に本当にたどり着くためにはどうしたらいいのか。実はそこに自分を運んでいってくれるものがあるんです。話が循環しますが、自意識を取り払った文章、文章そのもの ー これを丸谷才一なら「呪術的」と言うかもしれませんが、呪術的な文章の力によって、その文章という船に乗れば、自分が考えている変なことに突き当たる水路、海流に乗れるかもしれない。こういうことがあるわけです。(町田 2022:177-178)
※そこ=自分が本当に思っていること
つまり自意識を取り払った文章、プロの文章を読めということですね。その波に乗っかって自分自身の自意識も取り払えたら、文章を書けばいいと。
ただ自意識問題はそれで終わりということではなく、自意識は層になって何重にも張り付いているかもしれません。また取り払ったと思っても復活したり、世間の良識や普通という呪縛で新たに生まれたりもするから、修行は永遠に終わらないそうです。ダイエットに成功しても、元の生活に戻ればリバウンドしてしまうのと同じ理屈です。
日々文章を書くこと、一日も休まず書き続けるということが必要です。これをやることによって自意識が取り払われ、自分の変さに到達することができる。(中略)本当のことにたどり着くためには、上記のようなことをせねばならないと。そういうようなことが、私にとっての随筆であり、物書きとして、文章を書き始めてから何十年かなりますけど、そういう日々の積み重ね、実践だったということを申し上げて、エッセイについての話は終わりにしたいと思います。(町田 2022:179-180)
かっこいいなぁ。
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