岩波新書の『ぼんやりの時間』を読みました。
著者は辰濃和男(たつのかずお)さん。
ぼんやり得意ゆえ、タイトルから良書の匂いがプンプンしますねえ。
常に時間に追われ、効率を追い求める行き方が、現代人の心を破壊しつつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのではないか。では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさが生まれるか。さまざまな書物にヒントを求め、自らの体験もまじえながらつづる思索的エッセイ。
辰濃和男(2010)『ぼんやりの時間』カバー袖 岩波書店
『ぼんやりの時間』で印象に残った/学んだ/面白い箇所
『ぼんやりの時間』で印象に残った箇所は3つあります。
- ひらめきはぼんやりの中にある
- 静寂は無音の状態ではない
- 質のいいぼんやりは大自然にとけこんだ状態のとき
順に説明していきましょう。
①ひらめきはぼんやりの中にある
対象となるものを考え続けているとき、その対象にあまりにもこだわっていると、ひらめきがやってこない。対象になることをひとまず考えから遠ざけ、沈丁花の香りや家々の前に並ぶ鉢植えの花にみとれたりしているとき、つまり心の営みがやわらかくなって、カラッポになったときに、そのカラッポのところに流れこむものがある。それがひらめきだ。ひらめきは、忘れたころにやってくるのです。
それも散歩の効用だろうか。(辰濃 2010: 44)
ぼんやりの中からひらめきが生まれる話は、枚挙にいとまがありません。
中国には「三上」という言葉があり、良い考えは馬の上、枕の上、厠の上、つまりぼんやりしてるときに思いつくと言われています。
三上に分類できそうなぼんやり空間といえば風呂。
古代ギリシアのアルキメデスが入浴中に浮力の原理を発見したのは有名な話です。
ジェームス・W・ヤングの『アイデアの作り方』という本では、情報を集め、関連性や組み合わせを考えたら、一度その考えから離れてぼんやりすることを推奨しています。
『思考の整理学』で有名な外山滋比古さんは本書の中で、問題について考えてからいったん離れて別のことをしていると、なぜか考えがまとまると述べています。
考えすぎて前のめりになり、視野が狭くなってしまうのはよくあること。
問題をそのままにして離れるのは怖いことですが、多少息抜きしても問題は頭の片隅に残っているもの。
煮詰まっているときにあえて息抜きに興じることは、決して逃げではないと言えそうです。
②静寂は無音の状態ではない
私たちの先達は、蝉の声、鳥の声、せせらぎの音、時雨の音などに、静けさを感じとる「聴く文化」をもっていた。自然の音は、静けさの妨げにならないばかりか、静けさをささえ、静けさをきわだたせる音楽だ。
質のいいぼんやりの時間をたのしむには、静けさが必要だ。それも、飛び切り自然度のゆたかな場所で、静けさを聴きたい。(辰濃 2010: 136)
ぼんやり時間を過ごすには静寂が必要。
その静寂とは完全な無音でなく、鳥や虫の声、水のせせらぎであると筆者は述べます。
静寂を際立たせる音があるというのは面白い考え方ですね。
自然音は人と話しているときや騒がしい場にいては耳に入ってこないもの。
耳に入っていても、心に余裕がなければ意識を向けることはありません。
つまり、自然音に意識が向いてる状態は一人であること、心に余裕があることを意味します。
自然音を聴くためには、自然の多い場所に行くのが手っ取り早い方法でしょう。
実体験として、自然の音をぼんやり聴いていると、心の体力ゲージが回復していく感覚がよくわかります。
どうしても自然の中にいけない時には、自然音を集めた音源を聴いたりしています。
③質のいいぼんやりは大自然にとけこんだ状態のとき
長い間、独りでぼんやりしていると、心のなかに清純な水が流れこんできて、その水のおかげで、心に、ゆとりとか、余裕とか、余白とかいうものが生まれてくるように思う。心にゆとりや余裕や余白が生まれてくれば、大自然の移ろいや、大自然のなかに生きている嫁菜や、竜脳菊や鉦叩きや蛍や鶯の命の輝きに驚くという感受性がとぎすまされ、そうなると、自分自身の生きるチカラ、生きようとする力もまた泉となって湧いてくる。(辰濃 2010: 201)
「ぼんやり」と「自然」は非常に相性がいいです。
ぼんやりすることで心に清流が出来上がり、清流がゆとりを作る。
そしてゆとりがあれば、大自然の営みに驚き感動することができる。
この感覚はレイチェル・カーソンが『センス・オブ・ワンダー』に書いていたことと、ほぼほぼ同じではないでしょうか。
『ぼんやりの時間』の感想
学生時代、長期休みを利用してイギリスの湖水地方を巡ったことがあります。
ロンドンから北にのぼり、車窓からの景色が羊と草原だけになってくると現れる小さな村々。
街の中をゆるやかな小川が流れているボートン・オン・ザ・ウォーター。
マスが泳ぐ川と雑木林、そして淡い黄色の石で作られた家々が印象的なバイブリー。
そういった場所に宿るのんびり感は、慌ただしくスケジュールを消化する自分と対象的で、たまらなく羨ましく感じたものです。
本書で語られているのは、そんなのんびりの大切さと作り方。
読んでいるだけで、無意味に忙しなく生きているテンポがスローダウンしていく感じがしました。
ぼんやりにまつわる筆者自身のエピソードの他、ぼんやりの達人として様々な作家の話や文章が紹介されています。
串田孫一、高木護、池波正太郎、深沢七郎など。
ぼんやりで広がった心の余白に、次への好奇心が流れ込んでいきます。
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