薄暗がりにこそ「美」があるという考え方|『陰翳礼讃』

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陰翳礼讃』を読みました。

著者は谷崎潤一郎、写真は大川裕弘 、発売は2018年(原著は1933年)、パイ インターナショナルから。

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内容/あらすじとか

日本文化と西洋文化の不調和を嘆き、それでも成される欧米化に対する「損」の意識をあらわにしている。まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じ、東西の文化比較、芸能や生活における陰翳の美との関係などを通し、失われつつある陰翳への礼賛を文学で実践したいと表明した(wikipediaより)

『陰翳礼讃』の感想/レビュー

建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、絵、能、歌舞伎の衣装の色彩に至るまで、日本人のあらゆる感覚は「美」という目的を沿って形成されている。陰影、明暗の濃淡、薄暗がりにこそ美があると考察した谷崎潤一郎の随筆。

日本的な家屋や座敷がなぜ美しいかを語る文体が美しい。何枚ものふすまを開けて薄暗い部屋の奥へと進むように、静謐で神秘的な幽玄世界に引き込まれました。

『陰翳礼讃』のハイライト/印象に残った箇所

最も美しい場所はトイレ

されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした(谷崎 2018:24)

物体が作り出す陰影、明暗に美がある

われわれ東洋人は何でもない所に陰影を生ぜしめて、美を創造するのである。「掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり」と云う古歌があるが、われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰影のあや、明暗にあると考える(谷崎 2018:183-184)

なぜ西洋では陰影に美が見出されなかったか?

われわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いと云うことに不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する。然るに進取的な西洋人は、常により良き状態を願って已まない。蠟燭からランプに、ランプから瓦斯燈に、瓦斯燈から電燈にと、絶えず明るさを求めて行き、僅かな蔭をも払い除けようと苦心をする(谷崎 2018:195-196)

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