家では手伝いをなまけ、学校では手のつけられないひとりのイタズラ少年が、大学へ進んで、美しい山々と出会った。ー大学時代、ドングリとあだ名されていた著者は、無一文で日本を脱出し、ついに五大陸最高峰のすべてに登頂する。大自然の中の「何か」に挑まずにはいられなかった、その型破りの青春を語り尽くした感動篇。
植村直己(1977) 『青春を山に賭けて』裏表紙 文藝春秋
今回紹介するのは文春文庫の『青春を山に賭けて』。
著者は世界的な冒険家である植村直己さん、1977年に文藝春秋から発売されました。
名言のオンパレード!何かに挑戦する全ての人にオススメしたい本。
冒険家の植村直己が五大陸最高峰を踏破するまでの6年間を綴った記録。
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『青春を山に賭けて』のあらすじ、内容
1964年:無一文で渡米してアルバイトで資金を貯める
1966年:モンブラン単独登頂(ヨーロッパ最高峰)
1966年:キリマンジャロ単独登頂(アフリカ大陸最高峰)
1967年:アコンカグア単独登頂(南アメリカ最高峰)
1970年:日本山岳会メンバーとしてエベレスト登頂(世界最高峰)
1970年:マッキンリー単独登頂(北アメリカ最高峰)
『青春を山に賭けて』は登山の様子を記録した冒険パートと、資金集めや現地の人々との交流、移動を描いた日常パートが交互に続きます。
また五大陸最高峰の登頂以外にも、途中参加したゴジュンバ・カン登頂、60日間に及ぶアマゾンいかだ下り、グランドジョラス北壁登頂など、多くの冒険が記録されています。
私は五大陸の最高峰に登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、厳しい岩壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う。(植村 1977: 253)
『青春を山に賭けて』で分かる植村直己の強み
「植村直己は天才冒険家だった」
この本を読むと、植村さんをその一言で片付けるのはあまりにも失礼であることが分かります。
それでは彼が数々の冒険を成功させた秘訣は何なのでしょうか。
大きく分けて3つ挙げられると思います。
①型破りな行動力
②謙虚な人柄
③現実を見据える慎重さ
これらのどれか1つでも欠けていたら、冒険は上手く行かなかった、もしくは始まらなかったでしょう。
そして、これらは登山をする人だけでなく、何かに挑戦する全ての人に必要な要素と言えるのではないでしょうか。
①型破りな行動力
29歳で五大陸最高峰をほとんど単独で登頂。
日本を出てからわずか6年でこの偉業を達成できたのは、型破りな行動力あってこそです。
英語を話せるようになってから、資金が集まってから、しっかり計画を立ててから、、
挑戦を先延ばしにするもっともらしい理由はいくらでも挙げられますが、植村さんはまず行動を起こして、動きながら準備を進めていきます。
ヨーロッパ山行まで、何年かかるかしれないが、とにかく日本を出ることだ。英語ができない、フランス語ができないなどといっていたら、一生外国など行けないのだ。(植村 1977: 14-15)
言葉の通じない国で働いたり、登山の許可を取ったり、登山以外でも困難は多く、予定通りに事が進まないのは日常茶飯事。
・アメリカで移民調査官に捕まり日本に強制送還されそうになる
・黄疸にかかり1か月間の入院生活を送る
・マッキンリーでは単独登頂許可が下りずに一度断念している
行動を起こすだけなら誰でもできますが、問題にぶつかったり行き詰っても熱量を保てるのはすごいの一言に尽きますね。
※登山など命に関わる冒険には細心の注意を払う慎重さも持ち合わせています(後述)
②謙虚な人柄
植村さんは自身の功績について「まったく幸運とまわりの人の協力や友情に恵まれたからである」と述べています。
しかし、行く先々で出会うほとんどの人が親身になって助けてくれるのは、運がいいだけでは説明しきれません。
彼の持つ謙虚な人柄あってのことだと思います。
そんな植村さんの人柄が伝わってくる、印象的なシーンをひとつ紹介しましょう。
道からはずれた手の届かない岩棚の上に、エーデルワイスの花を見つけたのはうれしかった。誰に見られることもなく風にゆれ、七、八輪の花を咲かせているのだった。そのエーデルワイスの姿は、私を感傷的にした。人の目につくような登山より、このエーデルワイスのように誰にも気づかれず、自然の冒険を自分のものとして登山をする。これこそ単独で登っている自分があこがれていたものではないかと思った。(植村 1977: 83)
③現実を見据える慎重さ
いくら私が冒険が好きだからといっても、経験と技術もなくて、また生還の可能性もない冒険に挑むことは、それは冒険でも、勇敢でもないのだ。無謀というべきものなのだ。(植村 1977: 248)
植村さんは型破りな行動力を持っていますが、こと冒険に関しては非常に慎重です。
冒険のリスクを考えて安全に配慮する「慎重さ」。
それでもリスクを0にすることはできないから、最後に必要なのは「行動力」。
本書で誤解しやすいのは、「冒険」という耳障りのいい言葉の表面をなぞって慎重さに欠けた行動を起こすこと。
万事を尽くして慎重に判断しなければ、それは冒険とは言えないのです。
決意だけでなく、まず横断の可能性を追求し、見定めなければならない。そのためには、南極の氷雪、氷河、クレバス、気象、地形など、南極のもつすべてを自分の肌で感じ、また、触れて、その準備をしなければならない。(植村 1977: 250-251)
『青春を山に賭けて』の感想
圧倒的な熱量で書かれた冒険の記録に、こちらも熱くさせられました。
しかし、冷静に起こっている出来事を見直してみると、そのほとんどが苦労の連続であることに気づかされます。
好きなことをするために、辛いこと、苦しいことを我慢しなければいけない瞬間は多々あります。
好きなことに夢中になっていれば、そんな苦労も「必要なこと」としてこなせるのかもしれません。
しかし、誰でも楽な方に流れたくなる瞬間はあって、それは植村さんとて例外ではなかったことが以下のシーンから分かります。
駅前の駐車場の広場では、モルジンヌの若者が車でのぼってきて、クラクションを鳴らし、若い男女は抱き合い、キャーキャーいってクリスマス・イブを楽しんでいた。若者たちは酔いしれて、大騒ぎしている。
前のレストランに、ひとりで夕食をとりに行くわけにもゆかない。私は部屋にまだ残っていたジャガイモの皮をむいて、フレンチフライにし、カチカチに乾いた長パンを、インスタントスープの中にほうりこんで食べた。クリスマスの夜を、ひとり部屋の中で食事するとは、わびしいことこの上ない。そのわびしさを、
「オレにはつぎの目標がある。フランス人とちがう夢があるんだ」
と自分にいい聞かせてごまかした。(植村 1977: 128)
派手な冒険のシーンだけでなく、こうした何気ない日常にある「自分との戦い」。
偉大な功績の裏側には、そんな孤独な夜がたくさんあったのではないかと思います。
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