昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907-81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。
宮本常一(1984)『忘れられた日本人』表紙 岩波書店
今回紹介するのは、日本各地の民間伝承を収集記録した作品『忘れられた日本人』。
著者は民俗学者の宮本常一さん、1984年に岩波書店から発売されました。
歴史には残っていない名もなき人々から集めた話、地域ごとの生活に根付いた伝承・風習を楽しみながら学べる。
知的好奇心を刺激してくれる民俗学の入門書。
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『忘れられた日本人』のあらすじ、内容を解説
『忘れられた日本人』は13篇のエピソードで構成されていて、どこからでも読むことができます。
最大の特徴は、著者自らが実際にその土地を訪れて人々から伝承や風習を採集している点。
村に伝わる古文書の貸し出しを巡って開かれた寄りあいの話。
世話焼きばっば、おば捨山、など女性たちが形成した村社会の仕組み。
橋の下で暮らす80代男性の小説のような女性遍歴。
対馬の禁断エリア・浅藻の開拓史、などなど。
歴史に残らずに消えていったかもしれない日本にスポットライトが当てられていきます。
『忘れられた日本人』の3つのおすすめポイント
『忘れられた日本人』のおすすめポイントは3つあります。
①小説のようにスラスラ読める
②自分がその場にいるかのような臨場感がある
③抒情的かつ詩的な文章
順に詳しく説明していきましょう。
①小説のようにスラスラ読める
民俗学と聞くと、なんとなく堅苦しく難しそうな印象を受けます。
しかし本書は学術的な小難しい話でもなければ、無機質な情報の羅列でもありません。
その時代の日本に実際に生きていた人々の声と生活の記録です。
だから旅をしていた著者の紀行文のようにも読めるし、オムニバスの短編小説を読んでいるような感覚でも楽しめます。
たとえば「土佐源氏」のエピソードは30ページ程度しかありませんが、フィクションかと思うような物語性と密度の濃さには、そこらの長編小説をしのぐエンタメ性があります。
繰り返し強調したいのは、その話がウソのようだけど実話だという点。
人知れず忘れられていくはずだった男の人生がこの本によって後世までずっと残されたことに、ある種の不思議な力を感じずにはいられません。
②自分がその場にいるかのような臨場感がある
いくつかのエピソードには、著者がその資料や人物に辿り着くまでの経緯が書かれています。
そのため著者と一緒にその土地を歩き情報収集しているような没入感があります。
そして、老人たちとのやり取りは話し言葉で書かれているので、まるで実際に自分がその場にいて話を聞いているような臨場感があります。
私は一里近いの道を歩いてから大きな農家の前で厩(うまや)から肥出ししている百姓に、「この近くに高木誠一さんという人のお宅はないだろうか」ときいた。すると仕事をしていたその人は腰をのばして、堆肥の上から私を見下ろしながら、いっとき間をおいて「高木誠一は私だが……」といった。(宮本.1984.283)
③抒情的かつ詩的な文章
『忘れられた日本人』を読んでいると、著者の宮本常一さんには文学者としての適性も多分にあったのではないかと思わされます。
その片鱗は、何気ない1シーンや話の展開・繋ぎに入るちょっとした風景描写などに、抒情的かつ詩的な余韻となって表れています。
私はその夜もまた徹夜で帳面を写したのだがーそして私にはいささかの非痛感があったのだが、外はよい月夜で、家のまえは入海、海の向こうは山がくっきりと黒く、海は風がわたって、月光が千々にくだけていた。その渚のほとりで、宿の老婆は夜もすがら夜なべの糸つむぎをしていた。「月がよいので……」と月の光を楽しみ、夜風のすずしさをたのしんで仕事をしていた。(宮本.1984.18)
シライ谷というのはシライの多い谷のことで、シライはシラエとも言い、彼岸花のことです。もともと救荒植物として土佐藩ではこれを田畑の畔に植えさせたようですが、シライ谷は今行っても初秋には火が燃えているようにこの花が咲きそろうと言うことです。山の中の青一面の木の茂みの中に、この赤い色はずいぶん鮮やかで、通りがかりに見とれてしまうことがあったと申します。(宮本.1984.168)
『忘れられた日本人』の感想
ある日、Googleマップで自分の暮らしている地域をぼんやり眺めていると、不思議なピンが目に留まりました。
「増田五郎右衛門の墓」
マップにはそれ以上の情報はなく、当然口コミも0です。
気になって調べてみると、増田五郎衛門は江戸時代の農民であることが分かりました。
五郎右衛門は1816年、大雨で不作となった農民を代表して年貢の減免を申し出て、減免と引き換えに訴えの首謀者として処刑されました。
農民たちは彼の死を悼んでお墓を作り、現在でもその功績を語り継いでいるそうです。
街中に立つ謎の石碑、意味深な地名、廃墟となっているお堂。
教科書に載っているはずもなく、地元でも知っている人は少ないであろう、消えかかっている伝承・風習・人物・出来事の数々。
増田五郎右衛門のように形として残っているのはほんの一角で、実際にはその土地に生きた人の数だけ物語があったと考えると感慨深い気持ちになります。
『忘れられた日本人』に書かれていたのは、そんな忘れられていくはずだった名もない物語たちでした。
当たり前の日常風景や常識も、時代が変われば忘れられていきます。
失ってから後悔するどころか、失われたことすら気づかずに消えてしまう事の方が多いでしょう。
だからこそ、宮本常一さんが自分の足で現地を歩いて物語を収集したことは、非常に価値のある業績と言えるのではないでしょうか。
そして、現代を生きる僕たちにとって当たり前の風景も、誰かが伝え記録していかなければ失われていくものなのだと実感させられます。
もしかしたら、すでに忘れられてきている風景もあるかもしれません。
自分の身近にある例を挙げるなら…
・ゲームカセットにふーふー息を吹きかけてたこと
・通信ケーブルを使ってゲーム機同士を繋いで遊んでいたこと
・ゲーム筐体を置いている駄菓子屋があったこと
全部ゲームの話になってしまいました!
しかし、こんな些事でも後世の人に興味深く映っている可能性は否定はできません。
何よりいくら他愛ない話でも、知る人がいなくなることを想像すると寂しい気持ちになります。
本書に載っている話の多くも、当人たちからすれば何でもない日常で、他愛ない話だったのかもしれません。
だから「民俗学を勉強する」としゃちほこ張らずに、好奇心に任せてページを開くことがこの本を楽しむ秘訣だと思います。
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