悩みや苦しみ、執着などを消す合理的な教え…瞑想や座禅、マインドフルネスの先を行く、釈迦の真の悟りとは?法に目覚める30の要点!!(「Amazon」商品説明より)
今回紹介するのは『ブッダの獅子吼 原始仏典・法華経の仏教入門』。
著者は経営者でもある北川達也さん、2020年にコボル社より発売されました。
ブッダの教えを日常生活に活かすことができる!
よりブッダの肉声に近い原始仏典の入門書。
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『ブッダの獅子吼』のあらすじ、内容
『ブッダの獅子吼』はブッダの肉声に近いと言われる原始仏典を中心に、現代人に役立つ教えを30項目の「法(人の行いを支えるもの)」として紹介しています。
各項目では人として生きる上で大切にしたいことや、何をすべきで何をすべきでないかといったことが語られていきます。
普段からよく耳にする「悟り」とは、法を知って理解して実践すること。
つまり、本書で紹介されている30項目の法を実生活で行うことも、悟りへと繋がります。
ブッダが最終的に目指したのは、悟りに目覚めることによる「清浄(心が清らかになること)」でした。
しかし、世の中には「無明(思い通りにならないこと)」が存在していて、思い通りにならないことを欲すること(渇愛)で、苦しみが生じます。
そこでブッダは、四諦を知ることで苦しみは消えると説きました。
・「苦しみが存在する」という真実
・「苦しみに原因がある」という真実
・「苦しみは消すことができる」という真実
・「苦しみを消す具体的な方法がある」という真実
四諦は苦しみを生まなくするのでなく、苦しみにとらわれないための工夫とも言えます。
後半で語られるのは死や無常、空といった法。
この世に絶対的なものはなく、自分も含め全てのものは変わっていきます。
そんな世界で拠り所とすべきは、よりよい死後の世界を求めることではなく、人生でどれだけ人を大切にする行い(善行)を積めるか。
行為主体の自己、つまり「法(人の行いを支えるもの)」を拠り所にすべきなのです。
『ブッダの獅子吼』の3つの特徴、おすすめポイント
『ブッダの獅子吼』の特徴やおすすめポイントは大きく分けて3つあります。
①分かりやすいが簡単ではない
②四諦は値千金の法
③読んだだけでは完結しない
順に詳しく解説していきましょう。
①分かりやすいが簡単ではない
『ブッダの獅子吼』は分かりやすい文章で書かれています。
一文は短めに、難しい漢字は使わず、専門用語は意味が分かるように解説されています。
説かれている法もシンプルで、すんなり理解できました。
・ウソをついてはいけない
・食事はほどほどにするのがよい
・物を盗んではいけない etc
しかし、この本を読んでいる時、書かれていることは理解できますが、内容が片っ端から抜けていくことに気づきました。
それは言葉にすれば当たり前のことばかりなので、「いいことが書いてあった」程度の認識で終わっていたからかもしれません。
本当の意味で理解するためには実践が必須、そして実践は簡単ではない。
このことを念頭に置いて読んでいくことが大切だと思います。
②四諦は値千金の法
本書で最も参考になったのは、四諦について書かれた部分です。
苦諦:「苦しみが存在する」という真実
集諦:「苦しみに原因がある」という真実
滅諦:「苦しみは消すことができる」という真実
道諦:「苦しみを消す具体的な方法がある」という真実
天気を人の力でコントロールできないように、自然に湧き上がる感情も、身体が老いていくことも、病気になることも、そして死んでしまうことも、自分の意思ではどうにもできません。
この世は一切皆苦(あらゆる物事は、思い通りにならないこと)なのです。
そんな思い通りにいかないこと(無明)を、どうにかしようとする(渇愛)から人は苦しみます。
そこで、渇愛に囚われないための具体的な方法を、八つに分けて説いたのが八正道(道諦)。
心身を観察して正しい気づきを得ることの重要性を説いたのが、八正道の中の「正念」です。
これは近年注目を集めているマインドフルネスの基になる考え方なので、普段から瞑想を行っているような人には理解しやすい話かと思いました。
③読んだだけでは完結しない
本書を一読しただけでは意味がありません。
苦しみは消えないし、生きる意味も、人生の拠り所も見つかりません。
学んだ内容を実践して、本当の意味で理解できなければ、悟りに目覚めたとは言えないからです。
本書は読んで終わりにするのでなく、身近なところに置いて読み返しながら、実生活の中に活かしていく必要があります。
『ブッダの獅子吼』の感想
最も参考になったのは四諦だと書きました。
この部分がすんなりと腑に落ちたのは、自分自身がスポーツをする時に、四諦に近い考え方でメンタルをコントロールしていたからです。
自分は昔から緊張しやすい性格で、人前に出て話をすれば顔が真っ赤になり、スポーツの大会に出れば緊張と不安でパフォーマンスが発揮できないという苦しみがありました。
その時は当然、マインドフルネスや原始仏典についての知識は持っていません。
だから、自分なりに色々な方法を試してみたり、スポーツ心理学の本を読んだり、緊張を取る方法などを調べていたのです。
そうして悩みは完全に解消された、わけではありませんが、特に効果的だった方法が自分の中にある感情を認め観察することでした。
それまでは「緊張するな」、「大丈夫」、「落ち着け」と自分に言い聞かせていましたが、体感としてそれらの方法はすべて逆効果。
余計に不安や緊張を大きくさせてしまうだけでした。
そこで試したのが、緊張しているなら緊張している事実を確認すること。
次になぜその感情が起こっているのかを考えること。
そのうえで「今やるべきことは何か」、「そのまま本番に臨むならどうするべきか」などを考えることでした。
緊張や不安、気負いや恐怖心を湧かなくさせることは不可能、なぜなら勝手に湧いてきてしまうから。
それらの感情を見ないふりをしたり、押さえつけようとするのではなく、しっかりと見つめて共存することを選んだ時、普段よりもいくらかリラックスした状態で事に当たれることに気づいたのです。
緊張していようが不安だろうが、舞台に上がったならベストを尽くすしかありません。
それは四諦でいうところの、「苦しみが存在する」という真実、「苦しみに原因がある」という真実を知ることに近いと思います。
あとは普段からの心構えとして、練習でもしっかり本番をイメージすること、たくさん練習すること、場数を踏んで慣れていくことで、悩みは少しずつ小さくなっていきました。
ちなみに、自分がこれらを意識的に行うようになったのは、大学を卒業してからでした。
もっと早く、中学生くらいの時に気づければどれだけ人生が楽になっていたかと思うと、悔しい気持ちになります。
同時に、早くからそういったメンタル術を心得ていた人、自然にメンタルコントロールができた人には、強い嫉妬と羨ましさを感じます。
しかし、そう思っても過ぎた時間は巻き戻せません。
それは思い通りにならないこと(無明)なのです。
しかし、時間はかかりましたが苦しみとの向き合い方を実践の中で学ぶことができたのは、自分にとって大きな宝でした。
知識は実践しなければ自分のものにならないと分かったからです。
ただ、四諦と八正道について正しい理解、解釈ができている自信はないので、苦しみにとらわれがちな自分にはまだまだ勉強と実践が必要な項目だと感じています。
それにしても、心身を客観的に観察して気づきを得ることで、苦しみが小さくなっていくのは不思議な現象だと思いませんか。
苦しみに気づいたところで、苦しみが解決したわけではないからです。
恐らくですが、四諦は「どうにかなること」と「どうにもならないこと」を分別するのに役立っているのだと思います。
自分で解決できることなら解決すればいいし、どうにもならないことは受け入れてやっていくしかない。
感情への気づきが得られることで、そこで悩んでいても仕方ないという「ポジティブな諦め(開き直り)」が起こるのです。
だから、自分の感情を観察すること、自分自身に向きあうことは、それだけで効果のある苦しみとの向き合い方なのだと思いました。
例えば、何かを創作することは自分の内面を表現すること。
つまり自分に向き合う作業になるので、それだけで四諦のような効果があると思います。
私を喜ばせ、苦しめ、その他、
私の心を動かしたものを
ひとつの形象、ひとつの詩に変え、
そのことによって私自身に決着をつけ、
心を鎮めるという傾向は、
生涯、消えることがなかった。木原武一 (2009) 『ゲーテ一日一言』p14 海竜社
リンク
小説『若きウェルテルの悩み』は、ゲーテ自身の壮絶な失恋体験を元にしているという話は非常に有名。
彼は創作が自分の心を整える手段であることを、体感として知っていたのでしょう。
また、以前紹介した『国語をめぐる冒険目』に書かれている、心理的な葛藤や悩みを言語化することでコントロール下に置く、という考え方もここに近い気がしました。

最後に、「一切皆苦」は一見ネガティブに聞こえますが、そこにはネガティブもポジティブもないと思います。
ただそんな事実があるだけ。
思い通りにならないことだらけの世の中でも、腐らずに善行を積んでいきたいものです。
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