ボクの学校は山と川/ボクの先生は山と川|感想

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今回は『ボクの学校は山と川』と『ボクの先生は山と川』を読みました。

著者は漫画家の矢口高雄さんで、発売は講談社から。

前者は1987年、後者は1988年に書かれたもので、読んだのはそれぞれ1993年、1995年に文庫化されたものです。

釣りキチ三平が育った秋田の山と川を舞台に、夢多き少年時代の活躍を生き生きと描く。ワンパク友達と一緒に愉快な川釣り、ユニーク先生が教えてくれた生命の尊さ、クジャクチョウを追っての失敗など、痛快かつ感動的なエピソードがいいぱい。子どもと親が共に読んで、心を通わせられる漫画&エッセイ。

矢口高雄(1993)『ボクの学校は山と川』裏表紙 講談社

舞台は秋田の山村。そこでの暮らしや農作業の苦労をはじめ、釣りキチ三平を育てた四季折々のエピソードがいっぱい。中学のユニークな運動会、村祭りでのヤクザの奮闘、優しい母との会話が生き生きと甦る。どんなに厳しい環境にあっても生きる力を身につけ、夢をはぐくむ少年時代を描く漫画&エッセイ。

矢口高雄(1995)『ボクの先生は山と川』裏表紙 講談社

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『ボクの学校は山と川』『ボクの先生は山と川』で印象に残った箇所

『ボクの学校は山と川』『ボクの先生は山と川』で印象に残った箇所は3つあります。

  1. リアルな山村
  2. 濃密な中学時代
  3. 余韻の残る終わり方

順に詳しく説明していきましょう。

①リアルな山村

 それはさておき、汗はひどい苦痛をもたらした。歩くたびに刈り干しがきしんで背中の皮膚を摩擦することになる。そこに汗が吹き出すわけだから、長い時間そんな状態で頑張り通すと、背中に水ぶくれができるのである。これが破れた時は最悪だった。痛いのなんの。それでも歯をくいしばって頑張ったのは、やはりおふくろの日頃の苦労が目に焼きついていたためだろう。
こんな苦労の果てに積み上げた堆肥塚は、広さにして十四、五畳、高さにして四メートルはゆうにあった(矢口 1995: 49)

筆者は1939年に秋田県西成瀬村で生まれています。

西成瀬村は現在は合併が進み横手市となっており、地図で見ると海から離れた山奥に位置していることが分かります。

表紙絵や挿絵を見ると、西成瀬村は山があり川があり畑があるコテコテの里山。

ひたすらに牧歌的なイメージを放っています。

しかし、そこに描かれている生活は苦しい野良仕事と貧困の日々でした。

 

キャベツの葉につく青虫や、田んぼに大量発生する蛙との戦い。

足腰を痛めながら取り組んだ田起こし田植えの作業。

風呂は三日にいっぺん入ればいい方で、風呂桶の底の隙間穴には囲炉裏の灰を詰まらせて水漏れを防いでいたそうです。

そして囲炉裏と言えば当時はどの家にもあったそうですが、煙たいうえに火傷の危険もあったのでそんなにいいものではなかったようです。

秋になると人々は鎌を携えてちょいと裏山へ出かけ、通称アキシラズというシダ科植物の葉を刈り集めた。これが来るべき冬のトイレットペーパーになったのである。
ところで、こうした植物の葉は、紙と違って直接便槽に落とすことが許された。いや、許されたというよりも、むしろそうすることが目的であった。つまり、植物の葉は糞尿と混じり合えば当然腐る。それがねらいだった。葉が腐れば、生粋の糞尿よりもグッとマイルドで滋養の高い有機肥料になったから、一石二鳥だったのである。(矢口 1995: 35-36)

こんな具合に、日々の生活の知恵や体験談は、資料で見るだけでは分からない里山生活のリアルな感覚を伝えてくれます。

また、筆者が住んでいた地域は日本屈指の豪雪地帯で、冬季の生活の話は熾烈を極めています。

 

もちろん、里山での遊びや楽しかったエピソードも多数載っています。

カジカの夜突き、おやつのアケビ採り、鯉の泥棒釣り、蝶の採集etc。

少年時代の楽しかった思い出が、筆者の漫画作品に多大な影響を与えていることが分かりました。

小学五年生の夏、この堆肥塚の上で星の観察をしたことがある。仲間三人でむしろを敷いて、その上で明け方まで北斗七星の移動する様を観察した。この成果を夏休みの終わった後の展示会に出品し、みごと金賞を得た。昼の炎天を吸いこんだ草の香ばしい中での観察だった。満天に降りそそいでいた頭上の星のきらめきは今でも忘れられない(矢口 1995: 49-50)

②濃密な中学時代

いま思い返しても、あんな山奥で、あんな時代に、なぜあんなことが出来たのか、不思議でならない。たぶん分校を統合した新校舎だったことが、気分の刷新を促したのだろう。それに、民主主義教育が始まって間もない時期だったから、過去の伝統にこだわる必要がなかったと言えよう。いや逆に、”伝統”はきょうから自分たちで作るんだ、と意気に燃えたことが、わき出るアイデアを怖いもの知らずに次々と実行に移していけたのだと思う(矢口 1995: 207)

筆者はいわゆる優等生でした。

勉強ができて、生徒会長を務めて、真面目で爽やかな模範的生徒だったようです。

そんな筆者が過ごした中学の3年間は圧巻の一語に尽きます。

すさまじい想像力と行動力、まるで作り話のような青春物語が繰り広げられています。

  • 修学旅行に全員で参加するため、皆で取り組んだ石運びのバイト
  • 生徒によるグラウンド作り&体育祭
  • 各々が持ち寄った農作物の品評会を行うホーム・プロジェクト展の開催
  • 生徒会の財政難から主催した、体育館での映画上映会
  • 夏休み、生徒から公募して作った唄で盆踊り大会を開催

これらを中学生が発案、実行に移したことは本当にすごいことだと思います。

そして、そんな風に生徒が自分たちで考えて自由に意見できるような校風、環境を作っていたのは、校長をはじめとした先生たちの柔軟な教育姿勢があったからに他ならないでしょう。

良き師が良き人を作る好例だと思いました。

とにかく、当時のボクらの学校の教育は、一口に言って「教科書学習にのみ終始することなく、一日一日の生活帯の中から生き方を体得させてゆくこと」だったと思う。つまり”人間教育”とでも呼ぶべきだろう(矢口 1995: 225)

③余韻の残る終わり方

学校生活、山野、川での遊び、季節ごとの生活、苦しい畑仕事と広がりを見せたエッセイは、後半から祖父、祖母、父や家の話に収束していきます。

そしてラストは、冬季の牛馬の飼料となる葛(くず)の葉を取りに、母親と二人で山に行くエピソードで締められています。

 

汗だくになるまで働いたら、お昼は山奥にある泉のほとりでお弁当。

お弁当といっても、泉の水をかけた白飯とナスの漬物のみという質素なものです。

食べ終わってからはごろりと寝転がり、しばしの昼寝。

それは二人にとって、厳しい祖父の目から逃れゆっくりと過ごせる唯一の時間だったそうです。

そんなひだまりの記憶が、後年の鮎釣りで想起されるところで話は終わっています。

後年、ボクは鮎釣りに熱中するようになった。鮎は別名「香魚」と呼ばれるほど香りのいい魚である。釣りマニアはその香りをスイカの香りに似ているという。たしかに、そんな香りである。だがボクは、初めて鮎を釣った時にはハッとした。”なつかしい”においだった。そうである。あの時のおふくろの汗のにおいだった。
だから今日でも、鮎を釣るたびにおふくろの顔を思い浮かべるボクである。だからボクの一番好きな釣りは”鮎釣り”なのである(矢口 1995: 314-315)

わんぱくな釣りキチ少年がどこまで駆けていくように広がった物語の着地点としては、控えめでしんみりとしたエピソード。

最高。

『ボクの学校は山と川』『ボクの先生は山と川』の感想

文庫本2冊合わせるとなかなかのページ量ですが、おもしろくてあっと言う間に読んでしまいました。

本文は活字ですが、各巻1本ずつ短編マンガも収録されています。

そして、本書で語られたエピソードのほとんどは、『蛍雪時代』(中学時代編、全5巻)、『オーイ!!やまびこ』(少年時代編、全7巻)で漫画化されています。

ただ、いずれも書籍はプレミア価格がついており、中古でもかなり値が張ります。

Kindleであれば1冊300円程度、サブスクのKindle Unlimitedなら無料で読めるので、読むだけならそちらがオススメです。

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