今回は『旅人 ある物理学者の回想』を読みました。
著者はノーベル物理学賞で有名な湯川秀樹さん。
1960年に角川書店から出版されています。
湯川氏の業績ほどにはその人を知る者は少ないだろう。これは博士自身が綴る生い立ちの記である。「孤独な我執の強い人間」と自身を語り、その心に去来する人生の空しさを淡々と説く文章は、深い瞑想的静けさをたたえる。科学者として最高の栄誉に飾られた博士の感慨であることを思う時、読者は深い想いにとらわれるだろう。
湯川秀樹(1960)『旅人 ある物理学者の回想 』裏表紙 角川書店
『旅人 ある物理学者の回想』で印象に残った箇所
『旅人 ある物理学者の回想』で印象に残った箇所は3つあります。
- 孤独に親しんでいた少年時代
- 備えていたのはむしろ文学的な素養
- 社会不適合者であることへの不安と諦念
順に詳しく説明していきましょう。
①孤独に親しんでいた少年時代
私は子供ながらに、なぜか孤独と親しんで行ったようだ。父に対する根強い反感があった。怖れもあった。それが私の心を閉鎖的にした。しかし外へ向っては、閉ざされた自分の世界中では、一人で、だれに気がねもなく、私の空想は羽ばたくことが出来た。家じゅうにあふれていた書籍が、次第に私をとらえ出した。そして、それが私の空想に新しい種を与えた(湯川 1960: 51)
極度に内向的で照れ屋だった筆者は、近所の子どもと遊ばず、学校で先生に指されても黙って赤面しているような少年だったそうです。
そのため一人になれる時間が安息であり、本が空想の世界を広げてくれたと述べます。
少年時代に乱読することを勧めているのも印象的でした。
②備えていたのはむしろ文学的な素養
私はすすめられて童話を書いたことがある。どんな内容だったか覚えていないが、今見ればどうであろうか。しかし、その内容がどうであれ、意識して童話を書いた時代があるということは、私にとっては記念すべきことだ。ーいや、文学的な「美」も、理論物理学が私たちに見せてくれる「美」も、そんなに遠いものではないと、実は今でも思っている(湯川 1960: 111)
筆者は「自分に物理学者になるような素養はなかった」と述懐します。
たしかに少年時代の回想に数学や物理の影はなく、文系の下地が作られていることが分かります。
驚くべきは5〜6才の頃から祖父に四書五経を習わされていたということ。
7才になる頃には和綴じの『太閤記』を読破。
中学では老荘の思想に親しんでいたというから、相当に早熟な少年です。
③社会不適合者であることへの不安と諦念
私はむずかしい書物を漁り求めていた。が、それは人間としての私が、全体として発展してゆくこととは、必ずしも一致していなかった。
私の極端な内攻性は、いつの間にか私の目を、現実の社会から外らさせていた。(中略)そういう点では、要するに子供であった。私の場合、数学や物理学、あるいは文学や哲学に対する理解力の成長速度と、現実社会に対する理解力の成長速度との間には、大きな開きがあった(湯川 1960: 150)
この感覚はめちゃくちゃ分かる気がします。
振り返ってみて、自分が学生時代に勉強に励んだのは、現実逃避と思考放棄からだったと思います。
おかげで勉強は人よりできる方だったかもしれませんが、人付き合いや社会的なコミュニケーションはまるで出来ない子どものままでした。
苦手だから避ける ⇛ 避けるから改善されない ⇛ 改善されないから苦手意識が高まる
面白い話ですが、社会的な感覚って放っておいたり避けたりしていると、マイナス方向にも成長していくんですね。
年齢を重ねれば求められる基準が上がるし、同年代は相応にコミュニケーションを学んでいるので、自分との差はより顕著になります。
私は孤独な散歩者だった。生来、無口な私は、研究室へ出かけても、一日じゅう、だれとも話もせず、専門の論文だけを読んでいることもまれではなかった。友だちから見れば、とっつきの悪い、不愉快な人間であったろうと思う。
私はそういう状態を、良いとは思っていなかった。しかし、それから抜け出すことは、困難なように思われた。自分が不幸であるばかりでなく、周囲の人を幸福にすることのできない人間でもあると、思いこんだ。自分のようなものは、一生、孤独であるよりほかないと思いさえした(湯川 1960: 204)
筆者の心は学問に開かれていましたが、社会に向けては閉ざされていました。
研究の合間に一人で暮らす家の間取りを想像していたというのは、あまりに寂しい話。
心の中には、空想で孤独を慰める少年がずっと生きていたのです。
『旅人 ある物理学者の回想』の感想
内向的で人付き合いが苦手な青年がそこにいました。
日本人初のノーベル物理学賞受賞という肩書が先行していますが、想像していたよりずっと不器用で、いろんな悩みや劣等感、焦燥感を持ちながら生きてきたことが分かりました。
学問への喜びや自信が筆者の進路を方向づけたとは思いますが、「社会に関われない自分には学問しかない」というすがる心境もあったのでしょう。
筆者が青春時代に直面したのは、多くの人が同じようにぶつかるであろう人生の悩み。
そこに苦悩しながら向き合い、成長していく姿に強く共感できました。
本文は平易明快。
非常に読みやすく、ところどころに詩的な表現が光っているのが印象的でした。
文学少年だったと自称するだけあって、筆者には文学への適正も多分にあったのかもしれません。
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