日本人にとって桜はなぜ特別なのか|『櫻の精神史』

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櫻の精神史』を読みました。

著者は牧野和春さん、発売は1978年、牧野出版から。

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内容/あらすじとか

神話の時代から近代までの日本人の精神史を、桜と文学に焦点を当てて書いた本。

「豊穣の前触れ」として祈りを託した古代。「見れど飽かぬ」で愛でられた万葉の時代。仏教的無常観で「散る」を儚んだ平安貴族の時代。「すべては消えていくもの」として見つめた武士の時代。「我が世の春」と豪華絢爛に楽しんだ桃山時代。「花より団子」で庶民のレジャーになった江戸時代。「散華の美学」として軍国主義に利用した戦争の時代。

人物では西行、鴨長明、兼好法師といったアウトサイダーが作った桜花観。世阿弥が作った幽玄美としての桜花観。松尾芭蕉が極めようとした風雅の象徴としての桜。他、千利休、良寛、本居宣長などを取り上げながら、桜が日本人にどのように見られ、民族の花として定着していったかが考察されています。

『櫻の精神史』の感想/レビュー

表紙の渋さと本の古さに身構えていましたが、読みやすかったです。桜と日本人の歴史が分かりやすくまとめられていました。たくさんの歌と古典文学が引用されていますが、訳がなかった点だけマイナスでした(こちらの勉強不足の問題ですが…)。

脈々と受け継がれてきた桜花観ですが、筆者が述べた通り現代の桜は「花より団子」。近年では写真に収めたりSNSに挙げるために花見をするような、レジャーとしての側面が強いと思います。同時に入学、卒業、年度終わり、始めの時期の花。出会いと別れ、終わりと始まりが同居したような節目の花として歌や小説などに使われることが多いと思います。

爛漫と咲くなかに、同時に散るが存在している。桜吹雪という絶頂のなかに、死が存在している姿は人生に重ねられます。学生生活が終わるけど、次のステージが始まろうとしている。慣れ親しんだ人たちと別れるけれど、新たな人たちとの出会いがある。そして若さのなかに老いが始まっている。満開の桜を見てただ綺麗なだけでなく、切ない気持ちになったり寂しい気持ちになるのは、そこに終わりと始まり、絶頂と衰退、生と死を同時に見ているからではないでしょうか。

『櫻の精神史』のハイライト/印象に残った箇所

貴族が見た桜、武士が見た桜(平安末期)

「吹く風を勿来なこその関と思へども道もせに散る山桜かな」(源義家)

訳 「来るなかれ」という名の勿来の関なのだから、吹く風も来ないでくれと思うが、道がふさがるほどに山桜の花が散ってしまっていることだ。

仏教的無常感に支えられた歌はすでにあった。しかし、明日は生命がなくなるかも知れぬ、という人間の存在の追い詰められた場で、桜が歌われたのは、この歌が史上初めてではないかと思う。(中略)勿論ここには「散るな」の意味が込められている限りにおいて、それは散るを惜しむを志向するもので、平安の美意識が芯となっていることは否定できぬ。しかし、貴族たちと根本的に違うところは、貴族たちの見る桜は、所詮、遊びにしかすぎぬ。桜狩りや、花合せや、けまりの対象として見る桜の花と、明日は死ぬかも知れぬという目(即ち、死生の展望)をもってみる桜とでは、その映像は根本的に異質の世界に成立するのであって、それぞれが相対立するものであろう(牧野 1978:62-63)

源平合戦の少し前の時代を生きた武士の源義家が詠んだ歌について。筆者はこの歌は、初めて桜が死生の場に登場したこと、初めて桜が武人によって真正面から歌われたという2点において、非常に重要であると述べています。

桜の花に世の摂理と人生を重ねた(鎌倉時代)

人は自らの眼に、この世のはかなさと桜花のはかなさと哀しみとを二重の映像として結んだに違いない。そのことによって、人はあわてもしなければ、悲しみもしない。ただ、あるがままに、そういうありかをばこの世の姿、更には桜花の実相として見抜いたまでのことである。人の力ではどうすることもできぬ。運命の自覚と呼んでもよいのかも知れない。詠嘆的な無常感はすっかり覚めてしまった。自覚的無常感の世界に、人の心は入ったのだといってよいのかも知れない(牧野 1978:81-82)

『新古今和歌集』(1205年成立)に貴族から武士の時代へと、変化の兆しが来ていることを指摘しています。この時代の特筆すべき点は、源平の大動乱を経ているということ。また人の盛衰に加えて、大火、地震といった天変地異、飢饉などもあり、「すべては滅びていくもの」という無常感が強くなっていた時代です。

そんな極限の状況下で見る桜は、むしろ鮮烈なほどに美しかった。人々はいつか散る桜に心を痛めるだけでなく、自分自身やこの世の姿を投影していたといえます。

庶民のお花見(江戸時代)

庶民は、その風情のなかで、どんな桜をみたことであろうか。桜なんか、みているようで、ほんとうはみてはいないのだ。むしろ、桜の方がだしにされてしまったのである。なんのダシにつかわれたか。「だんご」である。「花より団子」が庶民の桜花観であって、その点では、現代日本人の多くの桜花観は、いまだにこの江戸期庶民の桜花観の系譜を引くものであるということができる(牧野 1978:148)

天下泰平の世になり、桜は園芸種も多く見られるようになりました(日本人にもっとも身近な桜であるソメイヨシノが開発されたのは江戸末期)。各藩には桜の名所ができ、人々は山野に桜をたずねることもしなくなり、神さびた山桜の美しさに共鳴する人も稀となりました。

しかしそんな時代でも、松尾芭蕉や本居宣長のような例外的人物も出現しており、いにしえから続いてきた美意識や死生観をもった桜花観は彼らに引き継がれていきました。

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