『老後とピアノ』を読みました。
著者は稲垣えみこさん、発売は2022年、ポプラ社から。
内容/あらすじとか
私にとってピアノとは、老い方のレッスンなのかもしれない。どれだけ衰えてもダメになっても、今この瞬間を楽しみながら努力することができるかどうかが試されているのだ。登っていけるかどうかなんて関係なく、ただ目の前のことを精一杯やることを幸せと思うことができるのか?もしそれができたなら、これから先、長い人生の下り坂がどれほど続こうと、何を恐れることがあるだろう。
稲垣えみ子(2022)『老後とピアノ』カバー袖 ポプラ社
『老後とピアノ』の感想/レビュー
務めていた会社を早期退職した筆者が、いつか始めたいと思っていたピアノに挑戦する話。ピアノの練習を通して見えてくるのは身体の老い、脳の老い、そして気負い…。さらに今後の人生はその状態から下降しいくだけかもしれないという辛い現実でした。
気合と根性で猛練習をすれば腱鞘炎を起こしてしまい、どれだけ練習をしても人前で弾くと緊張でガチガチになってしまう。「自分が楽しめればいい」くらいの感覚で始まったピアノは、自分自身と向き合い、老いに向き合い、人生について考える哲学めいた旅へと変わっていきます。
途中からは死ぬ気で頑張る、がむしゃらに努力するだけではダメだということに気づきます。入れ込みすぎ、力みすぎ、緊張してしまうといった問題に対処するためにたどり着いたのは脱力の境地。練習とは見栄やプライド、思い込みをはがして、自分の根っこに近づいていく作業だったのです。
そして最後にはピアノすら必要なくなり、人生の意味を問う農業編へ…とはならず、初めての発表会に参加して終了しています。
何かに真剣に向き合うことは、自ずと自分自身に向き合うことになっていくものなのでしょう。「真剣に取り組む」ということはどういうことか。その試行錯誤の様子や、練習の中で感じる不安や悩みが克明に書かれているのを見られるのは、値千金な体験の共有だと思います。めちゃくちゃおもしろかったです。
『老後とピアノ』のハイライト/印象に残った箇所
老いへの不安、成長より衰えていくスピードの方が速いのではないか?
果たして私はこれ以上「進歩」できるのだろうか。いやきっと、100の努力をすればミクロの歩みで進歩できるのだろう。だがもう一つの恐ろしい現実がある。それは「老い」だ。これからは、今でさえ十分動きが鈍っている私の頭も体も、さらにどんどん動かなくなっていくのである。
となれば、努力によって得られるわずかな進歩など、老いによる衰えで簡単に帳消しになってしまうのではないだろうか?(稲垣 2022:128)
脱力は意識的に行うのが難しい
「力を抜く」ってことは、曲にならないくらい間違いだらけになっても構わないと開き直ることであり、こう弾きたいという意欲も情熱も捨ててしまえということなのである(中略)「弾ける」と思った瞬間から欲が出て、たちまち力が入り始める。イカンイカン。その気持を捨てる。当然めちゃくちゃになる。これもイカン。つまりはめちゃくちゃになることを恐れず、しかしめちゃくちゃにならず弾くことを目指す……いやこれはもう剣の修行である。我が身を捨てて初めて活路が開けるに違いないと、そう信じるしかないのだ。私は宮本武蔵か?(稲垣 2022:171-172)
上手く弾きたい、成長したいと思ってピアノを弾くと力んでしまう。前向きに見える動機すらも、力みを生んでしまう欲求になるというジレンマ。上手く弾きたいのなら、上手く弾こうと思ってはいけない? 問題はどんどん哲学的になっていきます。
目標を「上手く弾くこと」でなく「脱力する」ことに切り替えるなど、色々な方法を試していく様子が面白かったです。
承認欲求に向き合う、人前で極端に緊張してしまう本当の理由
私が人前で弾くのが嫌なのは結局、自分なりに楽しく一生懸命やってきたことが、「人様の評価」によってガラガラと崩れるのが怖いからだ。怖いから緊張する。緊張するからボロボロになって恥をかく。それが怖いから緊張する……出口なし(中略)そこまでして逃げ続ける態度こそが、まさに人様の評価に振り回されてるってことに他ならないんじゃないかとも思ったり(稲垣 2022:207)
はじめはピアノの発表会に参加などできるわけないと考えていた筆者。しかしなぜ緊張してしまうのか、なぜ怖いのかを問うていくうちに、人に褒められたい、評価されたいという欲求があることに気づきます。だから人前で失敗したら、それまでの努力が崩れたり、現実に打ちのめされてしまうから恐れて緊張していたのです。
剣道では「恐懼疑惑」を「四病」として諫めているそうだ。(中略)ミスすると驚いて動揺し、これからどんなにひどいことになるのかと懼れ、努力など所詮は無駄だったのではと疑い、自分が信じられず出口のない迷路に入り込む。まさに「四病」である。自分の中のノイズである。そう敵は自分自身(稲垣 2022:219-220)
途中からは井上雄彦さんの漫画「バガボンド」を読んでいるような気持ちになっていたところ、とうとう剣道の世界の話が出てきました笑
すべてを手放して、今この瞬間を生きる
そうかこれでいいんじゃないか? これはきっと、ピアノのことだけじゃない。これからは、手放していく。目標も、野望も。そして小さな一瞬にかける。今にかける。そこで初めて、生の自分が出てくる。思いもよらぬ自分が自分から出てくる。それを自分で認めてやれば良いのだ(稲垣 2022:256)
とうとう武蔵は筆者は悟りの境地に到達。なにやら岡本太郎イズム的でもあります。自意識は一度剥がせばそれで終わりというものでなく、時間がたてばホコリのようにまた積もっていくようなものだと思います。
つまり部屋の掃除や機械のメンテナンスのように、継続的に点検し続けていかなければいけないものだと自分は考えています。それは感情や自意識といった無意識的な性質に、できるだけ意識的になるということ。流行りの瞑想、マインドフルネスの世界です。
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