ソクラテスの弁明|わずか100ページに詰め込まれた一生使える普遍の哲学

ソクラテスの弁明単行本・文庫本
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ソクラテスの生と死は、今でも強烈な個性をもって私たちに迫ってくる。
しかし、彼は特別な人間ではない。
ただ、真に人間であった。
彼が示したのは、「知を愛し求める」あり方、つまり哲学者であることが、人間として生きることだ、ということであった。

プラトン,(2012)『ソクラテスの弁明』(納富信留訳)裏表紙 光文社

今回紹介するのは対話形式の文学作品として有名な『ソクラテスの弁明』。

紀元前4世紀頃のギリシャでプラトンによって書かれ、1920年代に原典が日本語訳されました。

『ソクラテスの弁明』はどんな本?
賢さ、正義、勇気とは何か?
2300年以上前に書かれ現在も色あせることのない、普遍の真理を学べる哲学の入門書。

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『ソクラテスの弁明』のあらすじ

『ソクラテスの弁明』は、メレトスらに訴えられたソクラテス(当時70歳)が法廷に立ち、弁明するところから始まります。

【告発者】
詩人メレトス、弁論家リュコン、政治家アニュトス

【告発内容】
①ソクラテスは国家の神々を信じないで、別の新しい神を信じているという不正
②ソクラテスは若者を堕落させているという不正

【判決】
有罪(死刑)

作中での弁明はソクラテスが実際に語った内容ではなく、ソクラテスの思想に基づいたプラトンの創作となっています。

『ソクラテスの弁明』の感想

ソクラテスは弁論を通して人々に何を伝えようとしていたのか。

そしてソクラテス裁判とは何だったのか。

自分なりの解釈で、3つのポイントに分けて考えてみました。

①誰もが陥りがちな偏見と思い込み問題
②逃げることは簡単で、自分の劣悪さに立ち向かうことは難しい
③「善く生きる」とは無知を自覚して、知を探求し続けること

①誰もが陥りがちな偏見と思い込み問題

告発はメレトスら一部の人がいきなり起こしたものではなく、ソクラテスを嫌う人たちが流した誹謗中傷の結果だと述べられています。

つまり、偏見と思い込みで出来上がった悪評を真に受けた人が、本当に彼を訴えてしまったということです。

 

この構図は現代のネット社会、特にSNSなどの炎上問題に似ていると思いました。

有名人やインフルエンサーと言われる人に対して、会ったこともない人が匿名で好き勝手に誹謗中傷する。

その声が大きくなれば、まるでそれが多数派の意見、正しい情報であるかのように広まってしまうことは往々にして起こっています。

その情報を部分的にキャッチする人が誤解してしまうのはなおのことです。

 

SNSに限らず、根拠が薄い情報を鵜呑みにしたり、偏見と思い込みで誤解したり。

よく知らないことを、知ったつもりになってしまう問題は、いつでも誰にでも起こりえます。

「この情報は正しいに違いない」、「あの人は悪事を働いたから叩いてもいい」、「正義はこちらにあるから責めてもいい」。

本人はあくまで善意や正義感から動いて、「自分は正しいことをしている」と信じている状態は、ソクラテスの言う「知っていると思い込んでる状態」と同じではないでしょうか。

②死から逃げることは簡単で、自分の劣悪さに立ち向かうことは難しい

ソクラテスは死という判決から逃げる手立てはいくらでもあるけど、それを行う恥知らずな心は持っていないと述べました。

また危険のたびに、どんなことでも言ったり行ったりする大胆ささえあれば、死を逃れきる手立ては他にもたくさんあるのです。

このこと、つまり死から逃れることは、皆さん、難しいことではありません。ですが、劣悪さを免れることはずっと難しいのです。(納富,2012,96-97)

 

このシーンは生死で語られているので難しい話になっていますが、もっと身近な事に当てはめると理解しやすいと思いました。

例えば僕は小学生の頃、マラソン大会が嫌で仮病を使って休んだことがあります。

僕にとってマラソン大会から逃げ出すことは簡単で、仮病を使う恥知らずで劣悪な心から免れることは難しかったのです。

マラソン大会から逃げられてホッとしたのも束の間、あまりにも卑怯な自分が許せなくて、未だにその後悔を引きずっています。

 

自分自身の汚さ、弱さ、未熟さを自覚して、そこに向き合うのは非常に勇気のいることなんですね。

ただ現代的な感覚で考えるなら、生死に関わってくる状況はなりふり構わず逃げた方がいいと僕は思います。

しかし、ソクラテスの価値観では、劣悪さから逃げるための大胆さや恥知らずな心は死よりも恥ずべき行為だったようです。

③「善く生きる」とは無知を自覚して、知を探求し続けること

善く生きる」とはどういうことでしょうか。

これも現代の感覚でそのまま受け取っていいか悩みますが、自分の無知を自覚して、知を探求し続ける生き方を「善く生きる」と考えていいと思います。

ソクラテスは、地位・名誉・お金稼ぎに執着する生き方をして恥ずかしくないのか、と市民に問いかけます。

世にも優れた人よ。あなたは、知恵においても力においてももっとも偉大でもっとも評判の高いこのポリス・アテナイの人でありながら、恥ずかしくないのですか。金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や、魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは(納富,2012,62)

 

また、作中では「知らないのに知っていると思い込んでいる状態」は恥ずべきであると述べられています。

これは日本の感覚で言うなら「謙虚さ」に近い考え方だと思いました。

自分には知恵があるという謙虚さの欠如(自負心、自尊心、傲慢さ)は、知の探究にストップをかけます。

なぜなら、知ろうという行為は、自分が知らないことを自覚しなければ起こらないからです。

ソクラテスのように自分がはっきりと「知らない」という自覚を持つ場合にだけ、その知らない対象を「知ろう」とする動きが始まるからである。なんとなく「分かっているよ」と片付ける人は、本当には分かっておらず、自己認識がないままに、曖昧なまま進歩もなく、思い込みの中で人生を送っていく。また、不十分なまま「知らないよ」と開き直っている人にも、そこから知に向かう積極的な働きは起こらない。(納富,2012,128,解説より)

つまり、自分の無知を自覚するのはスタートライン。

学びも成長も人格形成も「魂への配慮」という考え方も、全ては無知の自覚から始まるのではないでしょうか。

『ソクラテスの弁明』は難しい?

『ソクラテスの弁明』は有名ですが、実際に読んだことのある人は意外と少ないと思います。

「古典だからそのまま読んでも理解できなそう…」

「哲学に詳しくないから難しいかもしれない…」

抵抗となっているのは、こういう面倒くさいという気持ちではないでしょうか。

実際に僕も、本書をホコリまみれにして積んでいたので気持ちは分かります。

 

けど、実際に読んでみると分かりやすく、ページ数も100ページ程度だったので簡単に読めました。

読むのが速い人なら1時間ほどで読めてしまうでしょう。

つまり、僕にとっての抵抗だった「難しくて分かりにくい」は、誤解と偏見だったんですね。

 

善く生きるとは何か?正義とは何か?勇気とは何か?

作中には人間が抱える普遍的な問題が数多く散りばめられているので、短いながらも内容は非常に濃いです。

哲学の入門書として、読み物として、そして自分の無知を自覚するキッカケとして、

『ソクラテスの弁明』にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

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