『オオカミの護符』を読みました。
著者は小倉美恵子さん、発売は2014年、新潮社から。
内容/あらすじとか
川崎市の実家で著者が目にした一枚の護符。描かれた「オイヌさま」の正体とは何か。高度成長期に、小さな村から住宅街へと変貌を遂げた神奈川県川崎市宮前区土橋。古くから農業を営んできた小倉家の古い土蔵に貼られた「オイヌさま」に導かれ、御岳山をはじめ関東甲信の山々へ――護符をめぐるな謎解きの旅が始まる。都会に今もひっそりと息づく山岳信仰の神秘の世界に触れる好著。
小倉美恵子(2014)『オオカミの護符』裏表紙 新潮社
『オオカミの護符』の感想/レビュー
実家の蔵に貼られていた一枚のお札について調べていくうちに、自分たちのルーツ、山岳信仰、オオカミ信仰の謎に迫ることになったノンフィクション作品。
古くからその地に住む人たちが、いかにその土地を愛して、いかに自然を大切にしてきたかが分かりました。民俗学的なおもしろさと、推理小説のようなエンタメ的おもしろさのバランスがよく、伝統や文化の継承、保全の意義、是非について考えるうえでの良い材料にもなると思います。
地元の古老への聞き取りからご縁や偶然がつながり、御岳山、関東甲信の山々に行くことになるのは不思議な話。まるでオオカミに導かれているようです。
『オオカミの護符』のハイライト/印象に残った箇所
現代の暮らしが必要としなくなった伝統は潰していくべきなのか
町が拓け都市化が進む中で、この「旧家」の価値観や固陋な行いは、受け入れられ難くなっている。また旧家の人々も代替わりをし、数々の伝統的な行事は若い世代の重荷になってもいる。
この過程で、私は迷い続けてきた。暮らしが大きく変わってしまった今、昔の行事を、ただ続けていくのは無意味なことに思える。かといって全てを無くしてしまうというのも納得できない。
現状は、行事の回数を減らしたり、簡略化したりしてなんとか形を保ち続けているという状態だが、そもそもの意味が全くわからないままに形式だけが残るのも幸せなことではないだろう(小倉 2014:36-37)
この本が橋渡し的な役割を果たすと思います。他者が大切にしているものを尊重することは、共存共栄のために必要なこと。意見を統一したり、昔と同じように敬うことが難しくても、知ることで安易に無下にすることはできなくなります。
オオカミは百姓に信仰されていた
実際、この御岳山を含む関東の山々にはニホンオオカミが多く棲息していた。オオカミは各地の山村で今、まさに大きな問題となっているイノシシやシカなど害獣を引き起こす動物たちを捕食し、農作物を守ってくれたのだという。このことからお百姓に神と崇められてきたのではないかと金井宮司は続けた(小倉 2014:108)
さらに時代をさかのぼると、縄文時代の人々はオオカミの牙や骨をお守りとして身につけていたようです。なぜお札に描かれているのがオオカミなのか。なぜそれが田畑や蔵に貼られているのか。そのお札はどこからもらってくるのか。点をつないでいくと、その起源が遠いご先祖さまにまで遡るかもしれないというロマン。
村では労働を「稼ぎ」と「仕事」にわけていた
地元土橋では、ナラやクヌギなど薪にする木を「べーら」といい、それを生やした山を「べーら山」と呼んだ。煮炊きのための薪をとり、堆肥にする落ち葉を拾うのはもちろん、清らかな水を恵んでくれる命の山であった。そこには神々の棲む祠が祀られ、人々の祈る姿があった。(中略)土橋の「竹藪」は、換金作物を得るための「稼ぎ」の場であり、一方「べーら山」は、永続的に暮らしを成り立たせるための「仕事」の場といえる。つまり、世代を越えて守り続ける「仕事」の場に、神は祀られているのだ。(中略)人が自然に身をゆだね、互いの力をうまく引き出し合うところに思いがけない「はたらき」が生まれてくる。これが仕事の本領なのだと気づかせてくれる(小倉 2014:216-218)
生活に根ざした山岳信仰。奥が深いです。




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