美しいアルプスの自然を愛する、純真な少女ハイジの物語。がんこなおじいさんと二人きりで山小屋に住んでいたハイジは、クララという足の悪い少女の遊び友だちになるため、フランクフルトにゆくことになりました……。
ヨハンナ・スピリ(1986)『ハイジ 上』(竹山道雄 訳) カバー袖 岩波書店
なつかしいアルプスの山小屋にもどって来たハイジは、大よろこびです。かたくなに閉ざされていたおじいさんの心も、無邪気なハイジによって少しずつ変わってきました……。ある日、クララが遊びにくるという、うれしい知らせが届きました。
ヨハンナ・スピリ(1986)『ハイジ 下』(竹山道雄 訳) カバー袖 岩波書店
今回紹介するのは岩波少年文庫から出ている『ハイジ』の上下巻。
1880年にヨハンナ・スピリによって書かれ、1952年に竹山道雄が翻訳しました。
【どんな本?】
家庭の事情でアルム山に住むことになった少女ハイジが、豊かな自然の中での暮らしと、多くの人との出会いを通して成長していく物語。
【こんな人にオススメ】
・美しい風景描写や詩的な表現が好きな人
・大自然への憧れや都市生活に疲れている人
・自由で想像力豊かな少女が出てくる物語が好きな人
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『ハイジ』のあらすじ、内容
母親の都合により、アルムの山に住んでいるおじいさんの元に預けられた少女ハイジ。
ハイジは、がんこだけど優しいおじいさんに見守られながら、アルムの大自然の中で伸び伸びと成長していきました。
そんなある日、足の悪い少女クララの友達候補に選ばれたハイジは、フランクフルトの町に連れていかれます。
慣れない都会生活と、厳しいしつけと勉強へのストレス。
アルムの山へ帰りたいと願うハイジは、とうとう夢遊病のような症状に陥ってしまいます。
医者のクラッセンは、ハイジをすぐにアルムの山へ帰すよう提案しました。
アルムの山に帰ってきたハイジはすっかり元気を取り戻して、これまでのように暮らしていました。
そこへ訪れたクラッセンは、アルムの自然がクララにとっても良い療養になることを改めて実感します。
いくつかの季節が過ぎ、とうとうクララがアルムの山にやってきました。
『ハイジ』で印象に残った箇所
『ハイジ』で印象に残ったシーンは3つあります。
①夕暮れに佇むハイジ
②ハイジを慰め成長させた文字と本
③失意の医者を慰めたハイジとアルムの山
順に説明していきましょう。
①夕暮れに佇むハイジ(上巻)
こうして、気がつかないうちに、もう夕方になりました。太陽は、ずっととおくの、山のむこうにしずみかけていました。ハイジは、また、地面に腰をおろして、しずかに、ツリガネソウやシストの花をながめました。それは金色のたそがれの中にかがやいていました。あたりの草も、みな金色に染まり、向かいの大きな岩は、キラキラと光りました。(竹山 1986: 69)
「あれは何?」
「あの山の名前は?」
「タカが高く鳴くのはどうして?」
おじいさんやペーターに質問攻めのハイジに、アニメ版OPの歌詞が重なりました。
好奇心旺盛なハイジには見るものすべてが珍しく、そして美しく映っていたのでしょう。
②ハイジを慰め成長させた文字と本(上巻)
はじめてひらけてきた世界の中に、おどろきの目をみはって、夢中になって、はいりこんでいることが、見ていてもわかりました。そのあたらしい世界では、黒い文字の間から、いまや、とつぜん人間や、そのほかいろいろのものが歩みでてきて、生きて心をうごかす物語となっているのでした。(竹山 1986: 232)
ゼーゼマン(クララの父親)の屋敷で暮らすようになったハイジは、ホームシックになってしまいます。
そんなハイジを慰めたのは文字と本でした。
それらはハイジに想像力を与えますが、同時に心配や不安にも輪郭を与えてしまいます。
学ぶことで世界が広がるけど、今まで見えなかった問題も見えてしまう。
上巻はハイジが自然と共に生きる喜び、学ぶこと、祈ることの大切さを知る成長物語になっています。
③失意の医者を慰めたハイジとアルムの山(下巻)
ハイジは、同じところに立ったまま、その姿が一つの点となって見えているあいだは、いつまでも手をふっていました。小さくなっていくその人は、最後に、もう一度ふりむいて、手をふっているハイジと、日に照らされているアルムの山を見かえして、こうひとりごとをいいました。
「あの山の上はいいな。あそこでは、からだも心も丈夫になる。そして、生きていることが、また、たのしくなる」(竹山 1986: 93)
クラッセンは夢遊病になったハイジを助けてくれたお医者さんです。
下巻では娘を亡くして失意のどん底にいますが、アルムの山でハイジと過ごすことで、生きる気力を取り戻します。
アルムの山で暮らすハイジが生き生きしていることに納得すると同時に、自身もまた、生きることを楽しいと思っていることに気づいたのです。
『ハイジ』の感想
①全体的に自然の描写が素晴らしい
谷には、ずっと下まで、朝の光がいっぱいにあふれていました。目の前には、ひろい雪の原が、濃い青空の中に、高くそそり立っていて、その左には、おどろくほど大きな岩のかたまりが、つき立っていました。どちらを見ても、木が生えていない、ギザギザとした、塔のような岩が、青空にそびえていて、高いところから、ハイジを見おろしていました。
ヨハンナ・スピリ(1986)『ハイジ 上』(竹山道雄 訳) 55 岩波書店
ハイジが朝起きて外に出たり、夕方岩の上に座っているだけでも退屈なシーンにならないのは、風景描写が優れているからでしょう。
アルムの山ほど雄大でなくても、近所の公園や河原など、季節の変化を感じながら生きていた幼少期を懐かしく思い出しました。
ただそこにある自然の景色が、どれだけ心を温めていてくれたことか。
読後、強烈な外出欲求に駆られて近所の川沿いに来ました(台風一過、あいにくの天気)。
この記事も涼しい風がよく通る橋の下で書いています。
②宗教色が強い
どうしてもアニメ版との違いに目がいくのは仕方のないこと。
特に印象深かったのは原作の宗教色の強さです。
ハイジは信仰によって救われ、ペーターのおばあさんは信仰に慰められ、アルムのおじいさんは信仰によって長く閉ざされていた心を開きます。
作中で起こる出来事の多くに、「信仰のおかげ」→「感謝の祈り」という流れが入るのは、アニメ版との一番大きな違いではないかと思いました。
③不遇なペーター
アニメ版との違いとしてもう一つ挙げられるのが、ヤギ飼いペーターの扱いです。
原作でのペーターは無知で愚かなキャラクターになっています。
アニメ版のペーターを詳しく覚えているわけではないのですが、ここまでマヌケなキャラではなかった気がするので驚きでした。
ハイジを取られたと思ってお医者さんに激しく嫉妬するけど、豪華な食事であっさり懐柔される。
同様の理由でクララに嫉妬して、車椅子を崖から落としてしまう。
学校に通っているけど文字が覚えられなくて、ハイジに脅されながら勉強する。
ペーターはぐんぐん成長していくハイジと対象的に、「愚鈍で憎めないけど信仰によって救われるキャラ」として描かれています。
まとめ
先日、ハイジ展に行ってきました。
アニメ版の記憶は曖昧、原作は読んだことすらありません。
展覧会は素晴らしく、帰宅後すぐに原作を引っぱり出して、あっという間に読み終えてしまいました。
自分は『赤毛のアン』や『長くつ下のピッピ』のような、自由で想像力豊かな少女と豊かな自然が出てくる作品が好きなんだと改めて実感。
こんな素晴らしい作品に、長いことホコリを被らせていたことを申し訳なく思います。

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