おなじみのクリストファー・ロビンと仲間たちが住む森へゆくと、わたしたちはいつでもすてきな魔法の冒険に出会えますー。プーやコブタたちのところへ、はねっかえりのトラーがあらわれました。『クマのプーさん』の続編。
A.A.ミルン(2000)『プー横丁にたった家』(石井桃子 訳) 裏表紙 岩波書店
今回紹介するのは岩波少年文庫から出ている『プー横丁にたった家』。
1928年にA.A.ミルンによって書かれ、1958年に石井桃子が翻訳、2000年に新版が発売されました。

【どんな本?】
クマのぬいぐるみのプーさんと、動物の仲間たち、少年クリストファー・ロビンの日常が描かれた『クマのプーさん』の続編。
【こんな人にオススメ】
・忙しい日々を送っている人
・殺伐とした日々を送っている人
・淡々と日々を送っている人
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『プー横丁にたった家』のあらすじ、内容
頭はよくないけど仲間思いで、詩作とハチミツが大好きなクマのプーさん。
そんなプーさんの家にいきなり現れたのは、はねっかえりのトラーでした。
新たな仲間を加えてますます賑やかになった百町森では、個性的な仲間たちがおもしろおかしく暮らしています。
しかし、そんな日々にも少しずつ変化がおとずれます。
変わっていくものと変わらないもの。
これは森を離れていってしまうクリストファー・ロビンのさよならの物語です。
『プー横丁にたった家』で印象に残った箇所
『プー横丁にたった家』で印象に残った箇所は3つあります。
①詩や歌はこっちでつかむものではない?
②じっとしてたら何も起こらない?
③何をしてるのが一番楽しい?
順に詳しく説明していきます。
①詩や歌はこっちでつかむものではない?
「その歌、きみがこしらえたの?」
「うん、まあ、こしらえたようなものなんだ。そりゃ、頭でするんじゃないさ。」プーは、はずかしそうにいいました。「それは、きみも知ってるけど……でもね、歌は、ときどき、むこうからぼくのほうへやってくるんだよ。」
(石井 2000: 132)
今作では、詩人でもあるプーさんの創作の秘密が語られています。
それは、上手くやろうと狙ったりせずに、自然にやってきた感情や発想を大切にすること。
簡単なことですが容易ではない、まさに妙技ですね。
「詩とか歌ってものは、こっちでつかむものじゃなくて、むこうでこっちをつかむものなんだ。だから、ぼくらは、むこうでこっちを見つけてくれるところへ出かけるくらいのことっきり、できやしないんだ。」
プーは、期待をもってまちました。
(石井 2000: 225)
うたがむこうからやってくる、こっちをつかむ、というのは何もしてなくていいということではないと思います。
むこうからやってきた時、こっちをつかんだ瞬間に気づくために、日々の中で見聞きしたこと、行った場所、そして自分の内面を、素直な目で観察している必要があるのではないでしょうか。
②じっとしてたら何も起こらない?
「それは、きみが悪いんだよ、イーヨー。きみは、だれのとこへも、たずねてきたことがないじゃないか?きみは、この森のすみっこにじっとしていて、ほかの者が、きみのとこへやってくるのをまってるんだ。どうして、たまには、きみのほうから出かけないんだね?」
(石井 2000: 230-231)
長所も短所もあるがままのプーさんの世界ですが、今作では登場人物たちの変化が描かれています。
「誰も自分に話しかけてくれない」と卑屈になるイーヨーを説教するウサギ。
ぐうの音も出ない正論。
自分はイーヨーに似て陰気なので、耳の痛い話でした。
③何をしてるのが一番楽しい?
「だけど、ぼくがいちばんしてたいのは、なにもしないでいることさ。」
プーはずいぶんながくかかってかんがえてから、ききました。
「なにもしないって、どんなことするんです?」
「それはね、ぼくが出かけようと思ってると、だれかが、『クリストファー・ロビン、なにしにいくの?』ってきくだろ?そしたら、『べつになんにも。』っていって、そして、ひとりでいって、するだろ?そういうことさ。」
(石井 2000: 257)
まるで禅問答のようなクリストファー・ロビンとプーさんのやりとり。
時間に追われず、何も気にかけず、あてもなく散歩しながら話をしている「今この瞬間」のことだと気づくシーンが素敵です。
『プー横丁にたった家』の感想
①挿絵が素晴らしい
E.H.シェパードの挿絵原画は、キャラクターの個性をとても魅力的に描き出しています。何本も線を重ねた試行錯誤の跡をぜひ間近でご覧ください。
写真は、プーのぷっくり丸い背中とコブタのおびえた背中の対比がかわいい有名なシーン😊本展限定グッズのポストカードの中で、この絵が一番売れてます。 pic.twitter.com/SApx2PQSuN— クマのプーさん展 【公式】 (@wp2019jp) May 30, 2019
E.H.シェパードさんの挿絵が相変わらず最高です。
前作同様、一枚絵から小さなイラストまで非常に多くあるので、ページをめくる手が何度も止まりました。
②自然描写が素敵
お日さまは、うっとりするほどあたたかく、また、あたたかい日の光のなかに、ながいことすわりこんでいた石も、たいへんあたたかかったものですから、もう少しでプーは、おひるまえはずっと、この小川のまんなかで、ひとりでいることにしよう、と、きめかけたとき、思いだしたのは、ウサギのことです。(石井 2000: 92)
プーさんの世界を彩る重要な要素の一つに豊かな自然描写が挙げられます。
今作で特に印象深かったのは、擬人法を多用している点でした。
「そこで、みんながいつも、寝ころんで川をながめると……川はゆっくり、みんなの下を流れてゆきました。べつに先をいそぐわけはなかったものですから(石井 2000: 147)」
「ながいあいだ、三人はだまって、下を流れてゆく川をながめていました。すると、川もまただまって流れてゆきました。川は、このあたたかい夏の午後、たいへんしずかな、のんびりした気分になっていたのです(石井 2000: 170)」
「さて、夜のあいだに、すっかり木の葉を吹きおとしてしまった風が、こんどは、木の枝まで吹きおとそうとかかっていた、ある秋の朝のことです(石井 2000: 199)」
当たり前のように自然の心理が描かれているのが面白いですね。
プーさんたちの視点では自然にも意識があって、起こる現象一つ一つに理由があるようです。
③ラストシーンが切ない
クリストファー・ロビンはある日とつぜん、百町森を旅立っていきます。
どこに行くのか、なぜ行くのかを知っている人は誰もいません。
ただ、それがクリストファー・ロビンの幼年期の終わりを示唆しているのは明らかです。
何も知らないプーさんに色んな話をするクリストファー・ロビン。
二人はあてもなく散歩して、魔法の丘にたどり着きます。
どのタイミングで幼少期が終わるのか、いつ大人になるのか、そこに明確な定義はありません。
誰もがなんとなく大きくなっていって、いつの間にか変わっていきます。
しかし、いくら変わっても大切にしたいことは、幼少期に理解しているのかもしれません。
誰もが一度は離れてしまい、いつかまた戻っていく。
クリストファー・ロビンは永遠の友だちであるプーに、いつでも会いに行けるのです。
まとめ
ほのぼのした世界観にかわいいキャラクター。
そこにハチミツのようにたっぷりの詩情がかかっているのが、『クマのプーさん』という作品だと思いました。
本作は前作よりも哀愁があって、最後のエピソードは特に切なくなります。
後半からのしんみりした展開と読後感は『ピッピ 南の島へ』に似ていました。
たまたま、ミルンに男の子ができて、目のまえに子どもの心の世界を身近に見つめるチャンスができた時、ミルンは、自分が遠いむかしにおいてきたその世界にもう一度はいりこんで、しかもおとなの技術で、それをとらえたのです。これは、たいへんむずかしいことですが、よい児童文学をうむには、たいせつな条件と思われます。(石井 2000: 270)

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