今回はマークトウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』を読みました。
訳は千葉茂樹さん、発売は2018年、岩波書店の岩波少年文庫から。
原著が出たのは1885年、古典も古典っすね。
19世紀、南北戦争以前のアメリカ南部。気ままに生きる少年ハックルベリー・フィンは、かたくるしい未亡人との生活や、飲んだくれの父親からのがれ、黒人奴隷のジムとともに、筏でミシシッピ川をくだる冒険の旅にでる。
M・トウェイン(2018)『ハックルベリー・フィンの冒険 上』(千葉茂樹 訳) 裏表紙 岩波書店
サギ師たちが引き起こすさわぎに巻き込まれながら、ハックとジムの旅はつづく。だがハックは悩んでいた。奴隷を逃がすなんていう大それた犯罪を、本当におかしていいのだろうか……。みずみずしい新訳でおくる、アメリカ文学の原点
M・トウェイン(2018)『ハックルベリー・フィンの冒険 下』(千葉茂樹 訳) 裏表紙 岩波書店
『ハックルベリー・フィンの冒険』の内容/あらすじ
トムソーヤの親友であるハックルベリー・フィンは、厳しいしつけを受ける養子としての暮らしから脱走します。
しかし、金の匂いをかぎつけて街に戻って来た父親と出くわし、一緒に暮らすことになってしまいました。
父親との生活にも嫌気がさしたハックは、自身の死を偽装して街から脱走。
その際、たまたま出くわしたのは、逃亡中の黒人奴隷ジムでした。
二人は自由のため、筏ひとつでミシシッピ川を下る冒険にでます。
『ハックルベリー・フィンの冒険』の感想/レビュー
著者の前作『トム・ソーヤの冒険』の続編、というよりスピンオフ的な作品。
本国ではトムソーヤより有名で、アメリカ文学史の最重要作品として位置づけられているらしいです。
内容としてはトムソーヤの冒険が少年向けだったのに対して、ハックの冒険は大人向け。
出会う人々は善人から悪人、どちらでもない人まで様々、詐欺や泥棒、殺人まで目の当たりにします。
そんな旅を通してハックが見たのは、清濁混じり合う人間の本質。
同時に作品全体のハイライトとして、黒人奴隷ジムの逃亡を手助けすべきか否かの葛藤が挙げられます。
19世紀アメリカでは、奴隷の逃亡を手助けするのは法的にも宗教的にも立派な犯罪行為だったそうです。
そのためハックは道中で、どうするべきかを何度も自問自答して悩み苦しみます。
逃亡奴隷の手助けは重い犯罪。
けれど、ジムを自由にしてあげたい。
なぜなら危険な旅を通して助け合い、ジムとは真の友情を育んでいるから。
ハックはジムが自分となんら変わらない人間であることが分かっていたのです。
当時の常識と自身の本音のぶつかり合い、そして決断を下すシーンが個人的なクライマックスでした。
最終章ではスペシャルゲストとしてトムが合流しますが、レビューを見た感じ、トム登場は蛇足だという意見が多いようです。
けど、自分はトムとハックのタッグが大好きなので、嬉しいサプライズでした。
出番がなかったせいか、前作以上に滅茶苦茶に暴れまくるの最高!

『ハックルベリー・フィンの冒険』で印象に残った箇所
『ハックルベリー・フィンの冒険』で印象に残った箇所を引用しつつ紹介。
- 冒険は、やはり夜始まる
- 旅を通して考えを掘り下げるハック
- ハックの決断シーン
①冒険は、やはり夜始まる
川は何キロも先まで広がっている。月が照っていて、太い流木を数えられるぐらいに明るい。岸から何百メートルもはなれたところを、黒々と静かに流れていく木がはっきり見えるんだ。あたり一面、こわいぐらいに静か、真夜中という感じがする。真夜中のにおいがしたんだ。ことばではうまくいえないけど、真夜中のにおいだ(千葉 2018:上 82)
トムソーヤの冒険がしばしば夜に行われたように、ハックの旅立ちも時間は夜です。
少年の冒険×夜はベタですが、どうしてもそれだけでワクワクさせられます。
そしてトムを交えた3人の冒険は、新たなる冒険への示唆で終わっています。
うまくいえないけど真夜中のにおいがする、ほんと、そうだよな!
「おれたち三人でここをぬけだそうぜ。夜になったらこっそりな。そして、いろいろ装備をととのえて、インジャン・テリトリーでインジャンたちと大冒険をやらかすんだ。半月か一か月ぐらいな」(千葉 2018:下 321)
②旅を通して考えを掘り下げるハック
人間っていうのは、ついついくだらないばかげたことをするもので、やっておきながらその責任はとりたくないっていうような代物だ。そして、やったことをかくしておけるあいだは、恥ずかしいなんて思わないんだ(千葉 2018:下 144)
正しいことをしようと、悪いことをしようと、結局はおなじことなんだ。人間の良心には理屈なんてものはなくて、どっちにしてもうるさく責め立ててくる(千葉 2018:下 186-187)
③ハックの決断シーン
ジムが家族を思う気持ちは、白人たちとなんにもちがわないとぼくは信じている。そんなことはないという人もいるだろうけど、ぼくはそう信じている(千葉 2018:下 17)
どうしたらいいのかわからない。ぼくは紙を拾い上げた。体がふるえる。ふたつのうちひとつを選ばなくちゃいけないのがよくわかっているからだ。ぼくはしばらくその紙をじっと見つめていた。息をするのも忘れたみたいに。そして、自分で自分にいった。
「よし、きめたぞ。地獄にいってやる」ぼくはその紙を破った(千葉 2018:下 148)
意識的な悪意や差別意識は悔い改めることができますが、無意識的にやっていること、刷り込みのように根付いている価値観から生まれる考えにはなかなか自覚的になれません。
ハックが常識から一歩離れて考えることができたのは、旅を通して思索を深めたこと、ジムという人間に向きあったからでしょう。
法や神に逆らってでも自分の気持ちに従って決断したシーンは、本当にカッコいいと思いました。
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