『バリ山行』を読みました。
著者は松永K三蔵さん、発売は2024年、講談社から。
内容/あらすじとか
会社の付き合いを極力避けてきた波多は同僚に誘われるまま六甲山登山に参加。やがて社内登山グループは正式な登山部となり、波多も親睦を図る目的の気楽な活動をするようになっていたが、職場で変人扱いされ孤立している職人気質のベテラン妻鹿があえてルートから外れる危険で難易度の高い「バリ山行」をしていることを知る……。
「山は遊びですよ。遊びで死んだら意味ないじゃないですか! 本物の危機は山じゃないですよ。街ですよ! 生活ですよ。妻鹿さんはそれから逃げてるだけじゃないですか!」
会社も人生も山あり谷あり、バリの達人と危険な道行き。圧倒的生の実感を求め、山と人生を重ねて瞑走する純文山岳小説。
松永K三蔵(2024)『バリ山行』帯 講談社
『バリ山行』の感想/レビュー
「バリ」という命の危険もある登山スタイルに魅せられた会社員男性が主人公。自然の描写、主に「色」の表現が秀逸。不穏に淀んでいく会社員パートと、小気味よく進む山行パートのメリハリが気持ち良かったです。
自分から危険に飛び込んで「生」を実感するのは、現実の問題から逃げているだけではないかという疑念。同時に孤独に無心に歩くことで、山と一体化していく恍惚感があることの発見。
しかしどこまで行ってもそこには「自分」がいます。一人になるほど自分に向き合う時間が増えます。不安は尽きません。山で深めた思索は日常への向き合い方にも反映されていきます。なぜバリをするのか、そこに何があるのか。そんな話。
『バリ山行』のハイライト/印象に残った箇所
苦しく危険なバリ山行になぜ行くのか?
逆なのだ。妻鹿さんは何か特別な風景を求めて登山道を外れ、難所に足を踏み入れているのかと思ったが、そうではなく、誰もいない場所に行こうとして登山道を外れているのだ(松永 2024:112)
バリ山行で起こる「すべてが溶け合うような一体感」
地図も地形図も見ずにそのまま淡々と歩くと、不意に身体が浮くように感じた。落ち葉を踏む音と呼気、そこに自分の心音が混じる。歩きながらそれを聞く。それらは勝手に同調し、反発し、跳ね、熱を帯びた身体の中で騒ぎ、酔いに似た感覚があった。酔いに任せ、私は眠るように歩き続けた。ふと断崖に行き当たって気づいて、自分はいつからそうして歩いていたのだろうと戸惑った。歩いていた間の意識がすっかり抜け落ちている。それは奇妙な感覚だった(松永 2024:153)
山にいても人生の不安は消えない
私は街からずっと不安を引き摺って山を歩いた。誰もいない山で、ひとり考えてみたかった。五、六時間かけて山の中を歩く。日常の中でそれほど長い時間、誰とも接することなく、ひとりで考えを巡らせることがあるだろうか。考えたところで仕方ないとはわかってはいるが、歩き、熱せられ、汗に洗われ、自分の不安がどう変化するのかを知りたかった。
斜面を登る。身体が熱くなる。しかしいくら登っても歩いても不安は変わらず、火に焼べられた落ち葉のように濛々と煙りはじめる。(松永 2024:157-158)
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