『詩のこころを読む』を読みました。
著者は茨木のり子、発売は1979年、岩波書店から。
内容/あらすじとか
いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。また、生きとし生けるものへのいとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。この本では、長いあいだ詩を書き、ひとの詩もたくさんよんできた著者が、心を豊かにしつづけている詩の中から忘れがたい数々を選びだし、その魅力を情熱をこめて語ります。
茨木のり子(1979)『詩のこころを読む』裏表紙 岩波書店
詩人・茨木のり子が自身を豊かにしてくれた詩を紹介した本。なぜその詩が好きか、自分にとっての宝物なのかの検証、考察。詩の魅力に触れるきっかけになります。
『詩のこころを読む』の感想/レビュー
詩人である著者が、他者の詩をどのように解釈しているか、どんな詩にどのように感動したのかをわかりやすい言葉で丁寧に明かしています。
詩はぱっと見で難しいものもあれば、簡単なようでいて難解な作品もあり、受け手にも思索や想像という能動的な関わりを求める文化です。明確な答えがなくあっても明かされはしない、そんな詩の世界で、著者が隣に寄り添って解釈の参考例を見せてくれるような、贅沢な詩の教室となっています。
本書で紹介されている詩から自分のお気に入りを見つけるもよし。著者の詩への向き合い方を参考に自分だけの宝物を探すもよし。読んだあとは、色んな詩に触れたくなりました。
『詩のこころを読む』のハイライト/印象に残った箇所
感性、理性、両方大事
高度の数学や物理の発見は、しばしば直観によるといわれ、実証もされています。もっともボヤッとしていて、突如、霊感によってひらめいたというのではなく、理づめで追っていって迷路をぐるぐる廻るような苦しみの果て、或る日或る時、直観によって飛躍できたということでしょう。(中略)感性といい、理性といっても、右折左折の交通標識のように、はっきり二分されるものではないようです。私の好きな詩は、私の感情と理智を同時に満足させてくれるからです(茨木 1979:78-79)
変わらなければ進歩でない?
変わらなければ進歩ではないという脅迫観念にかられて、なぜか焦るのが人の世ですが、短い一生に、一人の人間がなしうる仕事は、その主調音は、そう変わるものではないのかもしれません。むしろそれを簡単に手離さないことのほうが、
だいじなことです むずかしいことです
そんな気がします(茨木 1979:168)
能動的に学べるようになれば教育は成れり
もし、ほんとうに教育の名に値するものがあるとすれば、それは自分で自分を教育できたときではないのかしら。教育とは誰かが手とり足とりやってくれるものと思って、私たちはいたって受動的ですが、もっと能動的なもの。自分の中に一人の一番きびしい教師を育てえたとき、教育はなれり、という気がします(茨木 1979:185)
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