【感想】窓ぎわのトットちゃん|素晴らしい学園、素晴らしい先生、素晴らしい友達との思い出

小説
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「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ!」。小林宗作先生は、トットちゃんを見かけると、いつもそういつた。「そうです。私は、いい子です!」 そのたびにトットちゃんは、ニッコリして、とびはねながら答えた。――トモエ学園のユニークな教育とそこに学ぶ子供たちをいきいきと描いた感動の名作。(Amazonより引用)

窓ぎわのトットちゃん』を読みました。

著者は黒柳徹子さん、発売は1981年に講談社から。

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内容/あらすじとか

気になったことには何でも目移りしてしまう好奇心旺盛なトットちゃんは、「授業の妨げになる」ことから学校を退学させられてしまいます。

新しく通うことになったトモエ学園は、廃車両を教室にしている不思議な学校でした。

そこにはトットちゃんの話を四時間も聞いてくれる小林先生や、トットちゃんに負けないくらい個性的な子たちがいっぱいいたのです。

感想/レビュー

世界の名だたる有名作品と並べても見劣りしないような、素晴らしい作品でした。

明るく素直なトットちゃんのみずみずしい感性が、こちらの眠っている童心を刺激してきます。

そして両親、先生、回想している黒柳さんがトットちゃんを見守る「大人の視点」が、ひたすらに優しいです。

 

トットちゃんは現代ならLD(学習障害)、ADHDと診断されそうなところ。

その概念が希薄だった時代なら、問題児として厳しく矯正されていたかもしれません。

しかし、トモエ学園にはそのままのトットちゃんを温かく迎える校風がありました。

 

一風変わったカリキュラム、そこで出会う様々な出来事、先生や友達との交流。

全てが新鮮で全てに学びがある日々は、フィクションの中にしかなさそうな理想的な学園を体現しています。

本当にこんな学校があったのかと思うと同時に、自分もトモエ学園に通いたかったという気持ちにさせられました。

また、素晴らしい先生といえば、矢口高雄さんの自伝に出てくる小泉先生を思い出しました。

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なぜ「トットちゃん」という名前なのか

子どもの頃に「徹子」の発音がうまくできず、人から呼ばれる声も自分流に聞こえてしまい「トット」になっていた。

加えて「ちゃん」までが自分の名前だと思っていたので、自分のことを「トットちゃん」と紹介していたそうです。

なぜ「窓ぎわ」なのか

本が書かれた当時、「窓ぎわ族」という言葉が流行っていたから。

窓際族とは、日本の組織において閑職に追いやられた社員・職員を指す言葉(wikipedia)

退学になった学校でのトットちゃんは、文字通りの意味でいつも窓ぎわから外を眺めていました。

自分が周囲から冷ややかな目を向けられていることを自覚しており、疎外感を感じていたそうです。

ハイライト/印象に残った箇所

印象に残った箇所は三つあります。

  1. 子どもはよく見て、よく感じている
  2. よき師 小林宗作先生
  3. 子どもを先生の計画にはめるな

子どもはよく見て、よく感じている

このとき、トットちゃんは、まだ退学のことはもちろん、まわりの大人が、手こずってることも、気がついていなかったし、もともと性格も陽気で、忘れっぽいタチだったから、無邪気に見えた。でも、トットちゃんの中のどこかに、なんとなく、疎外感のような、他の子供と違って、ひとりだけ、ちょっと、冷たい目で見られているようなものを、おぼろげには感じていた。

黒柳徹子(1981年)『窓ぎわのトットちゃん』P31 講談社

子どもは知っている言葉が少ないからうまく言語化できないだけで、物事をよく見て、よく感じていることが分かる部分。

子どもは大人をよく見ているし、言葉はもちろん、態度や空気から色んなことを感じ取っています。

犬や猫にも言えることです。

よき師 小林宗作先生

校長の小林宗作先生は、トモエ学園を始める前に、外国では、子供の教育を、どんなふうにやっているかを見るために、ヨーロッパに出発した。そして、いろんな小学校を見学したり、教育者といわれる人達の話を聞いたりしていた(黒柳 1981:107)

小林先生が思いつきで自由な教育をしていたわけではなく、綿密な調査と計画の末にトモエ学園を作っていたことが分かる部分。

トモエ学園では音楽の授業が非常に多く、中でも音楽に合わせて体を動かす「リトミック」の授業は毎日あったそうです。

 

校長先生は、子供たちの、生まれつき持ってる素質を、どう、周りの大人達が、損なわないで、大きくしてやれるか、ということを、いつも考えていた。だから、このリトミックにしても、
「文字と言葉に頼り過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?
古池や 蛙とびこむ 水の音…… 池の中に蛙がとびこむ現象を見た者は、芭蕉のみでは、なかったろうに。湯気にたぎる鉄瓶を見た者、林檎の落ちるのを見た者は、古今東西に於いて、ワット一人、ニュートン一人というわけで、あるまいに。
世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず……の類である」(黒柳 1981:111-112)

一周回ってか、驚くほど先進的な考え方に思えます。

レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』。

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直近で読んでた本が不思議な縁で繋がって線になりました。

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子どもを先生の計画にはめるな

この幼稚園で小林先生は、「子供を先生の計画に、はめるな。自然の中に放り出しておけ。先生の計画より子供の夢のほうが、ずっと大きい」と、保育の先生にいいわたし、小林先生は、従来の幼稚園と全くちがった幼稚園を、ここに作った(黒柳 1981:280)

小林先生はトモエ学園を作る前には幼稚園をやっていたそうです。

子どもがやっていることは一見無意味でも、本人的には目的や狙いがあってやっていることがほとんど。

常識という型にハマりすぎないこと、ひいては自分の頭で考えて判断すること。

それが出来ている子どもを常識で押さえつけたり、大人の都合でコントロールしようとするのは傲慢なことではないでしょうか。

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