春や春|俳句にかける青春【感想/レビュー/ネタバレ無し】

小説
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今回読んだのは森谷明子さんの『春や春』。

2015年に光文社より発売されました。

ネタバレなしで感想、ばーっと書きなぐり。

俳句の価値を主張して国語教師と対立した茜。友人の東子に顛末を話すうち、その悔しさを晴らすため、俳句甲子園出場を目指すことに。ふたりのもとには、鋭い音感の持ち主の理香や論理的な弁舌に長けた夏樹らの個性的な生徒が集う。そして、大会の日はやって来た! 少女たちのひたむきな情熱と、十七音で多彩な表現を創り出す俳句の魅力に満ちた青春エンタテインメント!

森谷明子(2015)『春や春 』光文社

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『春や春』の感想、レビュー

6人の女子高生が俳句甲子園への出場を目指す青春小説。

俳句甲子園なるものがあることを知らなかったので、興味深く思って手に取りました。

俳句でどうやって競うのか、俳句に客観的な優劣はつくのか、感性は人それぞれなのに勝ち負けをつけるのはいかがなものか。

こちらが考えそうな疑問は、作中でも様々な人物を通して語られていくので、読み終わる頃には「こういう世界もあるのか」と納得させられました。

 

物語は章ごとに語り部となる人物が変わっていくスタイル。

さまざまな思惑や感情が入り乱れて賑やかです。

各々の俳句に対する考え方や接し方も当然異なっており、批評の仕方ひとつとっても、俳句の音に着目する子もいれば、視覚で鑑賞する子もいるのが面白いところ。

俳句の様々な楽しみ方を提示されてるように感じました。

もちろん、競技としての批評や判断基準なども解説されており、曖昧さの中にも一本線は引かれています。

 

で、肝心の競技シーン、バチバチの殴り合いでめちゃくちゃ面白かったです!

俳句甲子園は5人1チームの団体戦トーナメントスタイル。

あらかじめ発表されているお題の句を事前に用意しておき、試合中は対戦校と一句ずつ披露しあい、限られた時間内で質疑応答。

そして審査員たちが作品ポイント、批評ポイントなどを総合的に判断して勝ち負けを決めます。

 

この質疑応答が勝負の面白くも怖いところ。

なぜなら、どんな句だっていちゃもんつけようと思えばつけられてしまうから。

批評という名のツッコミを入れ合い、作品の意図や必然性を説明するという作業は、自然と自身の内面を掘り下げる作業になっていきます。

「エモい」「やばい」などで曖昧にされがちな感性が深掘りされていく感じには、勝ち負けを超えたカタルシスがありました。

 

そんなことをするのは無粋、作者が解説しなければ伝わらないのなら芸術として成立してない。

なんて話も作中では触れられていますが、「自分はどう思っているのか」を考えることは日常社会でも大切な気がします。

曖昧な「なんとなく」を具体的にして、完璧には言語化できないであろう自分だけの感覚や感情をできる限り言語化 & 共有する作業は、人が持つ根源的な喜びだと思うからです。

 

それでも、理論や技術をあざ笑うかのように、有無を言わさずドカンとぶん殴ってくるような作品があるのが芸術の超面白いところ。

自分は作中のとある句に思わず本を閉じて、「ううぁあ…!」とうめいてしまいました。

シンプル、ど真ん中ストレート、ゆえに強力。

理屈より先に感情に訴えられてしまえば、技巧だの理論だのなんてすべて置いてけぼり。

作中の句はすべて作者の創作なのか、歴代大会の句を拝借しているのか、かなり気になるところです。

 

ストーリーや登場人物については、アニメ化に向いてそうなくらい王道な青春ものでした。

部活動を立ち上げて顧問、メンバーを集めて、全国大会を目指す。

合宿があった(らしい)ことや、共同での句作にちょっとしたドラマがあった(らしい)ことなどは、意図的にか端折られ気味ですが、そんな見えないシーンは披露される句から想起できます。

高校生の短くも密度の濃い時間を、1冊の本で表現しようとするのは難しい。

ましてやそれを十七文字に凝縮しているのだから、いい意味で溜息ものです。

細部を説明し過ぎないのは、いちいち書かずとも句単体で十分に鑑賞できるからなのでしょう。

詩は子どもがプロに勝つ世界

俳句しかり、詩や絵、音楽などは優劣を決める基準が曖昧です。

技法が優れている、写実的である、演奏テクニックが高いなど、部分的に見ることはできますが、いいと思う作品を選ぶとなると、万人が異なる回答をします。

これは点数や記録ではっきりと勝ち負けを出せる、スポーツや勉強にはない魅力。

 

詩人としても活動していた漫画家のやなせたかしさんは度々、「詩は子どもがプロに勝つ世界」だと話しています。

 たとえばアマチュアの力士がいる。その中で最強の人がプロの幕内力士と相撲をとったとすればまったく勝負にならない。プロが百戦百勝する。
しかし、詩の世界では時として、三歳の幼児が世界最高の詩人に勝つ場合も起こり得る。百戦百勝ではないにしても百戦一勝のチャンスはほとんど誰にでもある。
こんな面白い芸術は他の世界ではあんまり例がない。
だから、生命がけにならなくちゃならない。
いつまでたっても安心できない。
不安定きわまりない、エリート否定の世界です。

やなせたかし(2009)『あなたも詩人 だれでも詩人になれる本』p193-194 かまくら春秋社

甲子園野球にプロにはない面白さがあるように、高校生が取り組む俳句にも技術を超えた魅力がある。

本作は詩が持っている可能性、若さが持つ勢いや魅力をよく表現していたと思いました。

分け入っても 分け入っても 青い山

作中の重要人物として出てくる、自由律の使い手KAN君。

自由律とは季語や文字数を無視した形式の俳句。

ようは何でもありってことですね。

歴史上の有名な自由律の俳人として、種田山頭火尾崎放哉(ほうさい)の名が真っ先にあがります。

咳をしても ひとり / 尾崎放哉

まっすぐな道で さみしい / 種田山頭火

で?と言われればそれまでのような、こんな感じでも俳句作品なのです。

解釈の幅が広すぎて、どうとでも取れる。

これならもう何でもいいじゃんという感じから、自由律にはやや邪道っぽいイメージがつきまといます。

 

ただ、静寂のなかにぽんと投げ込まれたような一句には、理屈を抜きにした「なんかいいなぁ」を見る人にもたらします。

そこがずるいところでもあるのですが、「なんかいいなぁ」の中には、その句の風景が見えたり、自分なりの解釈がハマったり、声に出して読んだときの感触、リズム、もろもろ含めて魅力があったりするのです。

分け入っても 分け入っても 青い山 / 種田山頭火

そのまま読めば山中を歩いているだけ、ですが、自分はこの句が好きです。

分け入って進む山の先に、さらに連なる青い山。

自分で選んだ道をひたすら進む、人里離れて険しい道を歩く。

どれだけ経験を積んでも、学んでも、成長しても、見えてくるのは未熟な自分。

青い山々にどこまで行っても未熟な自分を重ねているようで、かっこいいと思ったからです。

 

作中でも山頭火や放哉に何度か触れていたこと。

自由律俳句を詠むキャラがいたことで、ふっとこの句を思い出しました。

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