いい文章を書くために、作家・文章家たちは何を心がけているか。漱石・荷風から向田邦子・村上春樹まで幅広い人びとの明かす知恵を手がかりに、実践的な方策を考える。歩くことの効用、辞書の徹底活用、比喩の工夫……。執筆中と推敲時だけでなく、日常のなかの留意点もまじえて説く、ロングセラー『文章の書き方』の姉妹編。
辰濃和男(2007年) 『文章のみがき方』カバー袖 岩波書店
今回紹介するのは『文章のみがき方』。
著者は新聞コラム「天声人語」を書いていた辰濃和男さん、2007年に岩波書店より発売されました。

【どんな本?】
筆者がさまざまな文章論や作品から得た学びを紹介しつつ、文章を磨く方法を考えた本。
【こんな人にオススメ】
・人の心を動かすような文章を書きたい人
・文章を書く仕事(勉強)に携わっている人
・文章を通して自分自身を成長させたい人
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『文章のみがき方』のあらすじ、内容
「文は心である」という信念のもと、わかりやすい文章を書くための心構えを説いた『文章の書き方』。
その続編(姉妹編)として書かれたのが『文章のみがき方』です。
本書では、筆者が過去に読んださまざまな文章論や作品から得た学びが紹介されています。
漱石や太宰、村上春樹にターシャ・テューダーなど、古今東西の作家たちの言葉から文章を磨くヒントを得ることができます。
『文章のみがき方』で印象に残った箇所
『文章のみがき方』で印象に残った箇所は3つあります。
①文書の贅肉を落とす
②既成の概念を壊して表現する
③自分自身に向き合う
順に詳しく説明していきましょう。
①文章の贅肉を落とす
文章の贅肉を落とすには、よけいな言葉を捨てること、となりましょうか。「これだけは書きたい、伝えたい」というものを核にし、あとは思い切って捨てる。誇示、美化、ほら、自慢、歪曲、針小棒大など、そういったものを捨ててしまうことです。単純な言葉を書くためには、私たちの心にこびりついている誇張願望、歪曲願望を見つめ、それを抑える営みをつづけることが必要になるでしょう。(辰濃 2007: 92)
筆者は平易に書くことの大切さを繰り返し述べています。
簡単な言葉を使い、一文を短くして、誰にでも分かるように書く。
自分の能力をひけらかすような文章は、たとえ技巧が優れていても読み心地がよくありません。
さらに文章の贅肉となるのは技術的な問題だけでなく、心(書き手の内面)にも関係してきます。
上品ぶる、謙虚ぶる、知的ぶる文章を嫌った甘糟りり子の言葉を紹介しつつ、自分の言葉に「自分の思い」「自分の意志」「自分の感触」をしみこませることが大切だと述べます。
②既成の概念を壊して表現する
たとえば紅い花がある。それを見て、みんながみんな、それを同じ色に感ずるかどうかは疑問であって、眼の感覚のすぐれた人は、その色の中に常人の気づかない、複雑な美しさを見るかもしれない。その人の感ずる色はふつうの「紅い」という色とは違うものであるかもしれない。しかし、言葉で表そうとすれば「紅」にいちばん近い色だから、やはり「紅い」と書くことになるだろう。つまり「紅い」という言葉があるために、その人の本当の感覚とは違ったものが伝えられる。言葉がなければ伝えられないだけのことだが、言葉があるために害をすることがある。(辰濃 2007: 195)
作家の谷崎潤一郎は「言語は思想にまとまりをもたせる働きがあるが、思想を型に入れてしまう」と述べています。
これは筆者が挙げた例と同じ、人によって見え方の異なる複雑な「紅」でも、「ただの紅」に括られてしまう言語の有害性を指摘した言葉です。
大枠として存在する既成概念を動員すれば、それらしい文章を書くことができるでしょう。
しかし、現場感のある緻密な描写をすることはできません。
その意味で現実と言葉の間にはどうしても溝がありますが、その溝を超えようとする努力が文章を書くことなのです。
そのため筆者は、現場に赴いて自分で目で見聞きすることの重要性を説きます。
また、感覚を養うために歩くこと、自然の中に身を置くことを強く推奨しています。
③自分自身に向き合う
こういうとりとめのない表現を使うのは気がひけるのですが、結局は「内面」の深さがものをいうのではないでしょうか。自分の文章に自分が不満をもつのは当たり前のことです。そしてときたま、自分の文章に「ちょっと満足する」ということもあるにはあるでしょう。技巧的なことは、気づいたら直せばいい。しかし、自分の観察の不十分さ、ものを見る目の浅さ、自分のなかの自分勝手な思いこみ、考えのいたらなさなどは気づくのが難しい。でも、気づいたらやり直せばいいのです。
気づくためには、しっかりと自分に向き合うことです。己のおろかさに向きあうことのないおろかものよりも、己に向きあい、己のおろかさに気づき、そのおろかさをなんとかしようともがいているおろかもののほうが、数段ましでしょう。(辰濃 2007: 217-218)
自分自身のいたらなさに自分で気づくのは難しく、気づいて改めるのもまた難しいことです。
そのため稚拙であっても偽らず、自分に向きあって書かれた文章には、読む人の心を打つ味わいが生まれます。
無意識に文章に染み出る見栄、自慢、うぬぼれに気づくには、自分自身に向き合うしかありません。
『文章のみがき方』の感想
①古今東西の引用が熱い
本書は全4章31項目にわかれており、各項目の冒頭に作家や画家などの言葉や文章が紹介されています。
普段から気に入った文章や雑誌新聞記事などを書き抜きしていたという筆者の博識ぶりと興味関心の幅広さには流石の一言しかありません。
そんな筆者が集めた古今東西の学びは包み隠さず明かされており、手品の種明かしをしてもらっているような、美味しいラーメンのレシピを見せてもらっているような贅沢感があります。
また、引用されている言葉はすべて出典が明記されているので、次に読みたい本が必ず見つかります。
とりあえず自分が読みたいと思ったのは、武田百合子さんの『富士日記』、熊谷守一さんの『へたも絵のうち』、レイチェルカーソンさんの『センス・オブ・ワンダー』です。

②技法よりも心構えが多い
前作の『文章の書き方』を読んだとき、「文章の書き方という枠を超えて人生読本のよう」と書きました。
その読み心地は今作も同じで、具体的な技法よりも心構え的なアドバイスが多めとなっていました。
小手先の技術や取り繕った表現に頼るのでなく、今の自分にできる精一杯の文章を正直に書く。
その努力として毎日文章を書いたり、現場に足を運んだり、感覚を研ぎ澄ませたり、異質なものに触れたりする。
つまるところ筆者が述べるように、文章には書き手の心が出てしまうものなのでしょう。
内面の充実を図ることが遠回りに見える近道なのかもしれません。
③自然の中を散歩が最強!?
野生、精気、元気、自然治癒力などをよみがえらせるためには、ゆたかな自然のなかに身をおくことが大切です。静謐な森で一日を過ごせば、あなたの感情はその分だけ鋭敏になり、知恵の働きもその分だけ活発になるはずです。
文章修行のことを思うとき、私たちはまず筆の技をみがくことを考えます。むろん、それはそれで大切なことですが、同時に五感を練る修行に心を配りたい。いやむしろ、五感の練磨こそが、文章力を高めるためのより根本的な過程だと私は思っています。そして、大自然のなかでこそ五感は鋭敏になるのです。(辰濃 2007: 189)
筆者は自然の中に身を置くことを推奨しています。
この意見には自分も全面的に賛成です。
というのも自分自身、もともと自然が好きで、自然のもたらす効果を身を持って実感していたからです。
自然の中で過ごす時間が文章修行になるかというと、直接の効果はわかりにくいかもしれません。
ただ、普段からPCや机に向かっているような人にとって、自然は絶大なリラックス効果をもたらしてくれるはずです。
それだけでも、文章を書く人が自然の中にいった方がいい十分な理由になると思います。
そして、筆者は歩くこと(散歩)も推奨しています。
・世の中の新しいにおい、空気を教えてくれる
・書くことに苦しんでいる時、頭をスッキリさせてくれる
・頭を空っぽにしていると、思いつきが浮かぶ
・歩くことを楽しむことが、心身に精気をもたらしてくれる
文章を書く人にとって、散歩は一石何鳥にもなるリラックス法。
それならば「自然の中を散歩」すれば、両方のメリットの総取りできるはずです。
文章をみがきたいと考えている人は、一度だまされたと思って自然散歩してみてはいかがでしょうか?
まとめ
おもしろい。
いずれのアドバイスもすぐに実践できるものでありながら、持続させなければ身にならないという、優しくも厳しいものばかりでした。
筆者は「渾身の力とは瞬発的なものだけでなく、持続的なものでもある」と述べています。
筆を握った時に肩の力を抜いてありのままの自分で書くために、普段の生活から内面を磨き続ける。
毎日たくさん書く、たくさん読む、たくさん歩く、たくさん見る。
それらを真摯に実践するにあたり、今の自分は誘惑や快楽にやや弱いようです。
先が見えないし成長も分かりにくい、地味で地道な積み重ね。
今後も文句を言いながら進んでいこうと思います。
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