文章の書き方|「書く」ことを生活の柱にしたい人必読の書

文章の書き方岩波新書
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わかりやすい文章を書くために、何に気をつけたらよいか。日頃から心がけるべきことは何なのか。『朝日新聞』のコラム「天声人語」の元筆者が、福沢諭吉から沢木耕太郎にいたる様々な名文を引きながら「文は心である」ことを強調するとともに、読む人の側に立つこと、細部へのこだわり、先入観の恐ろしさ等のポイントをていねいに説く。

 辰濃和男(1994年) 『文章の書き方』カバー袖 岩波書店

今回紹介するのは『文章の書き方』。

著者は新聞コラム「天声人語」を書いていた辰濃和男たつのかずおさん、1994年に岩波書店より発売されました。

【どんな本?】
「文は心である」という信念のもと、わかりやすい文章を書くための心構えを述べた本。

【こんな人にオススメ】
・日常的に文章を書いている人
・上手な文章を書けるようになりたい人
・感性を磨きたい人

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『文章の書き方』のあらすじ、内容

本書は大きく分けて3つの章で構成されています。

一つ目は、文章を書く準備段階、材料を集めるときの心構えを説いた「<広場無欲感>の巻」。

二つ目は、文章を書くうえで大切にしたいことを説いた「<平均遊具品>の巻」。

三つ目は、文章の表現上の心構えを説いた「<整正新選流>の巻」。

『文章の書き方』で印象に残った点

沈丁花。2~3月頃に花を咲かせます。

①感覚を磨くことが大切

朝日新聞社が築地に引っ越してから数年たったころです。新橋駅への帰り道でした。ビルのわきに咲く沈丁花じんちょうげの強い香りにひかれて、立ち止まりました。去年も一昨年も、同じように咲いて、香りをただよわせていたはず。それなのに気づかなかった。花の香りに気づかぬほど、せかせかしく歩いていた自分に気づきました。その気にならないと、感覚はめざめてくれません。(辰濃 1994:59-60)

質の高い文章を書きたいなら、感覚を磨くことが大切。

この「感覚を磨く」という抽象的な課題について、具体的に3つの方法が紹介されています。

①心にゆとりを持つこと

せかせかした心持ちでは沈丁花の香りに立ち止まることはありません。

仮に気付いたとしても心に留まりません。

四六時中スマホを眺めている人が多数な現代で、道端の花を観察する余裕がある人はどれだけいるでしょうか。

②反復すること

ここでの反復は、対象を何度も観察するという意味での反復です。

③本物に触れること

海を書くなら本物の海を見て、森を見るなら本物の森を見る。

本物に触れることが大切だと分かっていても、ネットで簡単に知った気になれてしまうのが現代の悩みでしょう。

 

「感覚を磨く方法」は、現代とくに失われつつある部分ではないかと思いました。

いつも時間に追われて、次々とコンテンツを消費して、本物を見る労力を惜しむ。

そんな風に感覚を磨くことから逆走しないよう気を付けたいものです。

②「いかに書くか」は「いかに生きるか」ということ

いかに書くかということは、つまるところいかに生きるか、いかに生きているかということと無縁ではありません。いや、いくら筆先でごまかそうとしても、その人の生き方、生きている姿、心のありようが決定的に表れるのが文章というもののおもしろさであり、怖さです。(辰濃 1994:116-117)

いい文章を書くことと、普段の生活の心のありようは密接に結びついていると筆者は述べます。

つまり文章に表れる品格は、小手先の技術で取り繕うことはできないということです。

そこで文章に品格を生むコツが3つ紹介されていました。

①意識的に面白く書こうとしない
②心にゆとりをもって物事を観察する
③仰々しい表現を避ける

ものを静かに見つめるゆとりを持つことができるかどうか、これも、いってみれば人間修行の一つでしょう。息せき切って走っていたのでは、草むらの露草も目に入らず、目に入らなければ、それを描写することもできません。(辰濃 1994:169)

③正確な文章の難敵は「十把一絡げ」の考え方

十把一絡じっぱひとからげ」の考え方とは、少ない情報や体験で物事を一括りにしてしまう考え方のこと。

「海外では~、それに比べて日本は~」「最近の若者は~、昔だったら~」みたいに、大きな括りで分かったように断定するコミュニケーションは、日常的によく見られますよね。

 

正確な文章を書くための工夫として筆者は3つの点を意識することをすすめています。

①表現したい思想なり感情なりをよく観察すること
②どれだけ意識しても完全に正確な文章は書けないと知ること
③ゆえに「正確な文章」を求める道に終わりはないということ

それを伝えるには対象をどう見つめたらいいのか。どういう言葉を選んだらいいのか。言葉を選び、並べ、壊し、また選び、そういう営みを繰り返しながら、一歩でも、正確さに近づく。謙虚に、一歩一歩、近づくのです。それでも「これで終わり」ということはないのです。(辰濃 1994:200)

『文章の書き方』の感想

①聞けば当たり前のことばかり

・現場で観察することが大切
・先入観を持たず白紙で接する
・あえて自分の考えの反対意見について考える
・気取った表現、難しい言葉を避けて分かりやすく書く
・ナルシズム、センチメンタリズムに陥らない
・社会と自分を後ろから(客観的に)眺める etc

紹介されているノウハウは聞けば当たり前のことばかり。

しかし、当たり前ゆえに軽視されたり、手抜きで誤魔化されがちなことばかりだと思いました。

 

ほんのちょっとの手間暇で料理の味が大きく変わるように、文章もしっかり材料を集めて丁寧に調理することで出来が変わります。

その工程はせかせかした心持ちではできないので、やはり前提に心があってこそなのでしょう。

「文章の書き方」という枠を超えて、人生読本のようでもあります。

②本文が文章のお手本になっている

本書で語られている文章の心構えには非常に説得力があります。

その理由は筆者が自身の体験や古今東西の名文を例に挙げて、具体的に説明しているからでしょう。

つまり「なぜそう言えるのか?」という思考のプロセスが丁寧に描写されているから、わかりやすく説得力があるのです。

 

シンプルで読みやすく、論理が明快。

おまけにしっかりと熱量まで備えているので、読み物としても楽しめる。

本文がそのまま「文は心である」を体現しています。

この感覚は、本書を手に取って実際に味わって頂ければと思います。

③ブログに応用できるノウハウが多い

ノウハウのいくつかは、そのままブログに応用できます。

一文は短くまとめるとよい。

余計な部分は削ぎ落す。

1~2日おいてから読み直すと文章の悪いところが見えてくる。

こういった小さなテクニックはすぐに実践できそうですね。

 

それから「文章の生命は生の体験」という言葉は、ブログを書くうえで大切にしたいです。

なぜなら、ブログは自宅から一歩も出ずに作業を完結させることができるから。

ネットの情報だけを頼りに書いた記事は「コタツ記事」なんて呼ばれたりもします。

しかし、検索で得た知識で書いた記事と、実際に体験して書いた記事とでは、リアリティに雲泥の差が出ます。

生の体験を丁寧に観察描写することの大切さを再確認できました。

まとめ

文章修行として行っている文章模写。成長が実感できずにいましたが、本書内でもオススメされていたので続行することにしました。

長年にわたり新聞コラムを書いていた方なだけあって、心構えの多くは文章を客観に近づけるものだと感じました。

先入観を排して白紙で接すること(「無心」より)。

一つの立場からでなく、いろいろと角度を変えて観察すること(「均衡」より)。

センチメンタリズムに酔うな、見栄えを気にしたカッコつけ表現をするな、など。

人によっては「感情を排除した文章じゃなくて、エモーショナルな文章を書きたいんだよ!」と感じるかもしれません。

 

しかし、筆者が繰り返し強調しているのは「文は心である」ということです。

尖った主観を排除するよう戒めながら、書きたい伝えたいというあなたの熱意を大切にしましょうとも述べているのです。

つまりはバランス(均衡)の問題。

 

筆者は「どれだけ意識しても完全に正確な事実を伝える文章は書けない」と述べています。

文章を書いていればいくら注意しても自分の意見や思想が入ってくるし、上手く見せたいというエゴも働きます。

だから意識しなくても勝手に入り込む「自分」より、まずは見たものを分かりやすく正確に伝える努力をすることが大切。

そうすることで、ちょうどバランスの取れた文章が完成するというわけです。

文章のみがき方|筆を握る、火のように燃える
いい文章を書くために、作家・文章家たちは何を心がけているか。漱石・荷風から向田邦子・村上春樹まで幅広い人びとの明かす知恵を手がかりに、実践的な方策を考える。歩くことの効用、辞書の徹底活用、比喩の工夫……。執筆中と推敲時だけでなく、日常のなか...

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